【 razbliuto 】

孤独を愛せ、愛を貫け

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仕事をかなりだいぶ頑張った1週間だった。とどめの金曜日は20時まで現地作業をして、帰宅した頃には22時を過ぎていた。くったくただったが時間も時間なので大した晩御飯は食べず、コンビニで見つけたこんにゃく麺のうどんもどきを食べた。うどんですらないのに結構美味しくて、不覚にもいい夜食を見つけてしまった。そして夜は我慢した分、翌朝美味しいものを食べようと思い、雨の中パンを買いに行った。食べようと思っていたパンがあと1つだけ残っていたので購入。少し温めた方が美味しいのでトースターにいれたら、次に出てきた時に表面部分が炭と化していた。なるほど、頑張ったからといってすぐにはご褒美が返ってこない人生なんだな…と思った。それにしてもよく焦げていたなあ。

かなりハードだったが収穫の多い1週間だった。7日遅れだった作業がほぼ追いついた。山は越えた、多分。山を超えたからといって相変わらず気は抜けず、有給休暇を取ると言ったときも全員から「なんでその日に!?」と言われるくらいのスケジュールだが、もう知らんと思い強行突破した。ずっと頑張ってきたんだから、1日くらい好きに休ませろ。…と、口では言うものの内心「本当に頑張った?それだけのことしてきた?」と問うてくる自分がいる。もう一人の自分を納得させるために日々尽力しているといっても過言ではない。昔から、私を1番許さないのは私だ。あと1か月半で本当に全部が終わる。「終わったら行こうね、打ち上げ」と上司に言われた。なんでそこ倒置法なんだよと思いつつ、とびきり美味しい店を探そうと決意した。

勝手に1番仲良いと思っている先輩が、今週髪を切ってきていた。どう見てもセサ〇ストリートのバートにしか見えなかったが、先輩は今週もじわじわ面白かった。この先輩、単純に面白いし話しやすいから慕ってるんだけど、誰に対しても誠実に接している所や、1日の中で1番多く口にする言葉が「ありがとうございます」である所や、仕事の弱音は滅多に言わない所が本当に素敵で見習いたいと常々思っている。そんなこともあって密かに1番尊敬している。

誠実な人や、馬鹿みたいに実直な人が昔から好きだ。昔通っていた塾の先生に、年頃の女子中学生が「先生彼女いるのー?」と面白半分に聞いた時に「それはひみつ!」と返した人がいた。人気のある講師だったこともあり、もちろんそこから女子生徒の追求はエスカレートしていって、しばらくその話題が続いたことがあった。あとで聞くと、実際彼女はいたし、「ひみつ!」なんて言うと生徒が余計に囃し立てることも分かっていた。それでも「ひみつ」という言葉を選んだのは、「いないよ」というと嘘でも彼女の存在を否定することになるからだと言っていた。不在の相手に対する気遣いというものを学んだのは、その時だったと思う。中学生の私でも分かるくらい、素敵な考え方だった。今でも思う。

誠実な人や馬鹿みたいに実直な人、きちんと正しい人が、ちゃんと救われる世の中であってほしい。「正しさ」がもっと分かりやすいものであれば、私たちはきっとこんなに毎日悩む必要はなかったはずだ。正しくないことでもやったもの勝ちな世界だから、正しい人が割を食う羽目になるのはどう考えてもおかしい。強者でも、弱者でもなく、正しい者に救済を。だめだ、話が支離滅裂になってきた。そろそろ眠い。深夜1時。

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暑い。そろそろマスクが辛い。元から私は夏場でもマスクを着けているような人間だが去年までと今年で圧倒的に違う点が「今年は着用がデフォルトであること」だ。去年までのように「汗が引いたらつけよう」が出来ないのがとても辛い。あと我が家は無駄に保温力が高いので冬は暖かいのだが夏はやたらと暑い。私の大敵の季節が今年もやってきた…と思う。どうやら今年は、梅雨は例年に比べ雨量が多く、梅雨が明けてからも例年より熱いらしい。もう、鬱でしかない。「夏のいいところは洗濯物の乾きが速いところだけ!」と毎年のように叫びながら項垂れる未来が見える。

今週は何かと収穫の多い1週間だった。今まで自分が頑張ってきたことがわりといい線をいっていたことが判明した。うれしい。転職に伴って下がった給料で昨年極貧生活を送ることになったが、おかげで今年の住民税がかなり安くなった。うれしい。なぜか会社の同僚が3人立て続けに惚気てきた。みんなが幸せそう。うれしい。フォロワーさんもなぜかいっぱい増えた。うれしい。このブログを書きながら食べているいちごヨーグルトの苺が思ったより大きかった。うれしい。恋人と会える日が日に日に近付いてきている。うれしい!!!!色んな事が少しずつ報われはじめた。このまま全部報われてほしい。報われたい(願望)

頻脈が起きる頻度が高くなってきていることが少々気になる。不整脈が起きる理由として「ストレス、睡眠不足、疲労」があるそうだが残念なくらい全部当てはまる。この場合そこまで気にしなくても生活習慣を改善すればどうにかなるそうだが、中には大丈夫じゃない不整脈もあるそうなので一度病院に行ってみたいところ。けれど毎週金曜日が1番しんどい生活をしている限り、土曜の午前診療に行くことはほぼ不可能な気がしている…。あと少しでこの案件も終わるので、それまではどうにかもってくれ…と思っている。(というか心臓に関することなのでもってくれないとだいぶ困る)

「24までが女の華」と言ってきたのは誰だったか。言葉の形を変え、色んなところで言われてきた気がする。ちなみに大体が「24までが女の華。だから今のうちに良い人見つけてさっさと結婚しなさい」という旨だ。もう26になったけれど、今の自分の方がずっと好き。だって今の方が可愛いし、綺麗だし、健康だし、健全だし、スタイルもいいし、髪の毛もさらさらだし、肌に透明感もあるし、料理もできるし、仕事も楽しんでるし、休日も充実している。ちなみに全部「当社比」だ。過去の私に勝っていれば人生上出来だと思って生きている。何もかもと比べるのは精神衛生にあまりにも悪い。と、言いつつ他の人と比べてしまう時もあって、そういうときは漏れなく落ち込む。早く、何もかもを自己完結できるようになりたいと思う。私はまだまだ未熟だ。

そういえば、あれほど嫌いで嫌な思い出しかない中学時代の友達とまた会いたいなと思い始めている自分がいることに驚いている。卒業式が終わったその日に、連絡先をほとんど消した。そのくらい嫌だったはずで、一生嫌でいるものだと思っていた。どんなに苦い思い出も、いつか克服できる日がくるものなのだろうか。そうだといいな。

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会社の先輩に誘われてLINEのあつもり関係のグループに何故か参加した。そんなこんなで今までほったらかしてきた島クリエイトをせっせと進めているが、そこまで集中力も熱量もないので相変わらず亀より遅いスピードで進めている。参加メンバーが全員別部署の、しかも支社の主力の先輩たちばかりで恐れ多いという気持ちの方が強い。関わったことがないのに私の名前を知ってくださっていて光栄だなと思った。なんで知られていたのかはこの際気にしないことにした…

今週はあっという間に過ぎた。仕事が毎日忙しかった。充実していると言えば聞こえはいいが、納期に追われていて切羽が詰まっていただけなので何もよくない。仕事も何回か見たし、ぐっすり眠れない日々だった。それでも状況は悪化していくばかりなので週明けが怖い。というかもう家で仕事やりたい。追いつめられるのが、私は一番嫌いだ。そんなこんなで今後の巻き返し方を考えながら、今朝は本を読んでいた。太田愛さんの2作品目『犯罪者』。上巻を読み終えたところだがやはり面白い。いくつものストーリーが綺麗に1本の糸に繋がっていく様は本当に見事だと思う。話が複雑なので、難しい話が苦手な人にはお勧めしない。あと1つの作品で大体1000ページある。長いし重い。

難しい話といえば、私がこないだから見ている蒼穹のファフナーシリーズもそうだ。アニメ1期は見終わったので今日は映画を観ていた。相変わらず見終わっても理解度60%くらいだ。1期が2004年の作品で、映画が2010年の作品である。6年の時間に加えて映画用に作られているだけあって、戦闘シーンの迫力が凄まじかった。我が家の小さいテレビでも何度も鳥肌が立ったので、これは映画館で観たかったと心から思った。またやってくれるだろうか。

ジャンプ系の作品を思い浮かべてもらうと分かりやすいと思うが、大衆受けする作品はとにかく分かりやすい。コミックにすると第1巻のうちにはほぼ確実と言っていいほど「この作品の目的」が描かれている。作品の本旨や主人公の敵が冒頭に打ち出されると話の流れが掴みやすい。結果、幅広い層の支持を獲得できるのだと思う。その点ファフナーは最後まで観ないと全体像が見えない(なんなら難しすぎて最後まで観てもよく分からない)。これは例えるならミステリー小説と同じで、話の最後になって初めて犯人や真の動機が明かされる構造と似ている。最後まで読まないと話が分からないが、その分伏線を仕込みやすいし、いくつものストーリーを混ぜ込みやすい。私がファフナーを好きになったのは、元から推理小説ばかりを好んで読んでいるからという理由がかなり大きい気がする。とはいえ、話の本旨が何なのか観ても考えても分からないので、おおよその全体像が見えてくるまでかなり精神的に疲弊する…

答えの見えた話が嫌いで、見えない話が好きなのは私生活の私とも全く同じ。見えない答えを自分で探したり作り上げる方がやりがいがあって好きだ。逆に見え透いた答えをそのまま辿るのは面白くないと感じてしまう。まあ、このあたりは個人の好みだと思うが。

緊急事態宣言が開けて2度目の週末、街にはやはりシャッターが閉まった店が多かった。この一連のことで1番感じたのは「資本主義社会」という言葉だった。力のあるものは勝ち残り、力のないものは淘汰される。生きることは闘うことだと、昔誰かが言っていた。

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どうしても買い物に行く必要があったので、昨日は久しぶりに街中に出た。関西圏は緊急事態宣言がすでに解除されていることもあって街中は大勢の人がいた。大勢の人間を目の当たりにして疲れたので、もう少し引きこもろうと決意した。外の世界、とても向いていない。

最近は蒼穹のファフナーというアニメを観ていた。鬱作品として名高いが、確かにどこまでも希望がなかった。あまりにも希望がないので、何回かこちらまで重い気持ちになる、そんな作品。「僕たちは、常に誰かの犠牲の上に成り立っている平和を享受しているだけだ。だから僕は平和を噛みしめたい。それが、たった1日であっても。」生きること、共存すること、対話すること、平和。そういうものを問うてくる、深い作品だと思う。私はとても好き。

気持ち悪いと思うことが増えた。例えば先日の某法案に反対するためのハッシュタグ。政治に興味を持つことも自分の意思を表明することも何ら悪いことではないし、SNS上での抗議というのは時世を考えても新しい抗議の手法が台頭したと感じた。ただ、あまりにも物事を簡略して考えすぎなのではないかと思う。政府に対して不満が溜まるのは分かるが、それとこれとは分けて考えないと危険。法律や政治は深くまで見て、一方の選択を執った場合の影響範囲もきちんと考えなければいけないくらい、本来複雑で白黒がつけにくいものだ。あと「初めて政治に興味を持ちました!みんなも考えよう!」と言ってる有名人も数名見たが、心底「恥を知れ」と思った。それを言っていいのは、高校生までだ。本当に、恥を知れ。

昨日の女性芸能人の訃報についても、誹謗中傷を糾弾する声は沢山見る一方で事務所の対応を糾弾する声はほとんど見掛けない。格好いいことを言ったもの勝ちな風潮が、どうも気持ち悪い。たしかに誹謗中傷をする人間が悪い。誹謗中傷がなくなれば1番いいのは間違いないが、それはこの世界から犯罪を無くせと言っているようなもので、要するに限りなく不可能だ。というか誹謗中傷に関しては犯罪よりも敷居が低いため、この世界から犯罪を無くすことより難しいと思う。そこを分かった上で本人を守ってやれなかった周りの人間こそ責任追及されるべきだろう。なんというか本当に「え、それでいいの?」と思うことが多い。というか恋愛バラエティなんてコンテンツもなくなればいいのにね。恋愛なんて種族繁栄に関わる、あらゆる生物の本能にプログラミングされたような崇高なものをバラエティにコンテンツ化しようと最初に考えた人間の下衆な思考を疑う。

本当に本当に気持ち悪い。私はSNSもテレビも見ない方がいいのかもしれない。

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「いつか売れた時に、”私がファン1号だから”ってドヤ顔したいの。だからそれまでは辞めないで。」と言ったときに露骨に嫌な顔をされて、その顔を見ながらケラケラ笑ったのはもう何年前の話だろう。

そういえばしばらく連絡来ていないなーと思ってトーク履歴を辿ると、最後に止めていたのは私らしかった。「見ろ」という無言の圧力と共に毎度送られてくるMVを後で観ようと思って閉じてそのままだったらしい。今更観たら、思ったより好みだったのでいつも通りそのまま感想を伝えると「タイムラグ大正かよ」と返ってきた。そこで大正を選ぶのはどういうセンスなの?音楽の活動の仕方を変えたらしい。今のところネットのみの活動になっていて、そちらにお金を回せるようになったからか再生回数もコメント数も見たことのない数になっていた。そんなコメントたちを1つ1つ見ながらにこにこしていたら1日が終わった。あの子が世間に認められていくことは、私も素直に嬉しい。

ちょうど1年前、「ねえ、久しぶりに好きなギター弾く人見つけた!」とやや興奮気味に報告した時に「じゃあ俺はやっと辞められるな」と言われてドキッとしたことがあった。私はあの子のギターが好きだとずっと伝えてきたけど、それが彼にとって錘になっていた可能性が初めて過って罪悪感でいっぱいになった。音楽をする中で苦しんでいるのも見てきたから、猶更だ。絶対に私のために何かをしない人だと思っていたからずっと安心していたことすら、ただの勝手な自己解釈に過ぎなかった。けれどその時ですら「だめ、まだ私はドヤ顔してない」と答えた。我ながら傲慢極まりないなと思うけれど、あの時押し切って正解だったと思いたい。君には、ずっと音楽をやっていてほしいのよ。

たった1年の中でも私たちの環境は目まぐるしく変わるけれど、私たちの距離感と温度感は授業中ぼんやり外を眺めたり教師たちから目をつけられて度々一緒に溜息を吐いたりしていたあの頃から変わらないでいてほしいと願う。ちなみにこの時見つけた久々に好きになったギタリストが、今の恋人だ。2人とも私の大切な恩人。いつか3人でお酒が飲めたらいいと、ぼんやり思う。

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1番素直でいられる場所は、ラブレターの中だ。これは半分嘘で、半分本当だ。もしかしたらもう少し本当かもしれない。

ラブレターというと、好きな人や恋人に書く手紙を思い浮かべるが、よく考えれば謝罪文と抗議文以外の手紙は大体ラブレターだ。「好きです」と伝えることも、「感謝しています」と伝えることも、「お元気ですか」と尋ねることも、大きさの差はあれどそこにきっと愛はあるだろう。また、何枚も便箋を使って書くような手紙もあれば、たった数行の手紙もある。過去に私は、その文面を1週間かけて考え、メッセージカード大に切った白紙の紙を3枚作り、そこにリハーサルを3度し、自分の集中力とコンディションが最も良いタイミングを測って、深く深呼吸をして筆を執り、普段ではなかなかない集中力を発揮して、たった3~4行の手紙を書いたことがある。「好きじゃなきゃここまで出来ないな…」と書き終えて思った。宛先は、もちろん恋人だ。書くことは、自分の気持ちと向き合う機会も与えてくれる。

直接話すより書くことの方が好きなのは、そういう理由があるからなのかもしれない。話すことが苦手なわけではないし、上手いと言われるけれど、それでも自分の気持ちを伝えるべき時は「ああ、話すより書きたい…」と思ってしまう。論理と感情の境界が曖昧なまま話が進んでしまうことが1番嫌なのだが、大体自分の気持ちを話す時は境界をはっきりさせている余裕なんてない時だ。ちゃんと伝えたいとき、ちゃんと自分と向き合いたいとき、私は書く。もちろん、なんとなく書くこともあるし、このブログにおいてはそういう文章が大半だ。それでも、たとえなんとなく書いた記事でも書くときは「最近何があったかなあ」と考えながら書くものである。このブログがなかったら、私の日常はきっと水のように流れていくだけの毎日だ。

Twitterもこのブログも、もはやなんで始めたかなんて覚えていない。ただ、私は書くことが好きだ。音楽を辞めて以来、やっと見つけた「自分に素直になれる世界」が文字の世界だったと、今となっては思う。そんな私の文章を好きだと言ってくださる人がいる。それは文章だけでなく、私に対しても「好きだ」と言ってもらえているようで、とても嬉しい。

Twitterを辞めようと思ったのは文字に疲れたからで、やっぱり辞められなかったのは書くことが好きだからだ。たとえ140字でも、140字だからこそ。

もうしばらくはここにいると思うので、引き続き、何卒よろしくお願いします。

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「仕事休みにならないの?」「在宅勤務できないの?」「時差出勤は?」「手洗いうがい消毒ちゃんとしてね」「気を付けて、かからないようにね」。気遣っていただくなか申し訳ないけど、もう聞きたくない。仕事が休みになるなら今頃出勤していないだろう。在宅勤務も時差出勤も出来るなら今頃している。手洗いうがいは年柄年中徹底してるし、アルコール消毒に至っては部署の方針でこまめにしすぎて手はもうボロボロだ。ハンドクリームを買うにも店舗が閉まっていたので通販で発注したら「注文が込み合っているので発送は最低1週間先」といわれた。元々荒れやすい指先がやられているので毎日のシャンプーが痛い。気を付けて罹らないなら岡江さんは亡くなっていない。大阪で感染者が見つかった時、兵庫大阪間の移動制限がされた時、弊社が入っているビルで感染者が出た時、緊急事態宣言が発令された時、少しでも自分の危険が減ることを期待したし、その度に変わらない現状に失望もした。やれることは最大限しているけれど、もう諦めている。その状態でまともにこれらの声を聴いていたら気が狂いそうになるので極力聞かないようにしている。私は人の声を聴かないようにすると日々の感受性と記憶力も一気に低下するので、おかげで最近の記憶はかなり曖昧。そんな言葉よりも私はハンドクリームと絆創膏が欲しい。自分、本当に最低な人間にもほどがある。

ちゃんと制限しなければいけない、自分の行動が見知らぬ誰かを殺すかもしれないという天使がいる一方で、悪魔がいるのも正直なところだ。この期に及んで遊びにいく人は死んでもいいと心底思うが、結局最前線の医療従事者に迷惑が掛かるのでギリギリ良心が勝っている。今の社会を維持するために闘う人たちが辛くなるようなことは少しでもあってはいけない。ただ、4月下旬現在約370名がコロナで亡くなっているが、警視庁の発表によると1月から3月の3か月で4800人近くの人間が自殺しているらしい。4月に入ってから本格的な自粛が始まり失業者も多く出ているから、今頃5000人は軽く超えているだろう。国を挙げて戦う相手がウイルスでいいのか、もはや分からない。経済が死ぬのは本当に勘弁していただきたい。

だいぶ気温が上がってきたので冬物のニットを洗濯した。表示を何も見ずにとりあえずネットに突っ込んでニット使用可能な洗濯剤と柔軟剤をいつもより気持ち多めに入れただけなので多少駄目になることは覚悟していたけど幸い綺麗に洗えたようだ。「この服はあの時買ったものだな」とか「これ着て何処行ったな」とか、そんなことを思い出しながら片付けた。同じようなことを考えながら夏服を片付けられるのだろうか。