【 razbliuto 】

孤独を愛せ、愛を貫け

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「深夜の静けさより、夜明けの静けさの方が孤独を感じる」

どこで出会った一文だっただろうか。その通りだなと思いながら、どこかで生きているであろう色んな人のことを思い出していた明け方4時。

こういう状況になって数週間、ちらほらとしばらく連絡を取っていなかった人から連絡が来るようになった。みんな、各々大変な状況に置かれつつもどうにか無事なようでとりあえず一安心している。その中のひとりに、随分長い付き合いのある兄貴分みたいな人がいたのだけれど、その人はこの春から責任者の仕事をしているらしい。彼がその業界で駆け出しの頃から知っているので、その報せを聞いたときは素直に嬉しかった。例の腐れ縁はエンタメ業界にいるのでやはり仕事は激減しているらしい。けれど仕事のことを嘆くより「最新のポ〇リのCMが気持ち悪い」と言っていた。確認したところ確かに気持ち悪いんだけど、それにしてもCMにそこまで怒るか?なんて思ったりもした。

そんな1日を過ごした夜、恋人と「昔付き合っていた人に連絡する心理は何か」という話をした。その流れで「会いたいと言われたらどう思うか」というような話もした。私の答えとしては、「別に嫌ではないし複数人なら会ってもいいけど、多分行かない」だ。今付き合ってる人がいようといまいと、この答えだと思う。今朝自分の中で理由を深堀したところ、行きついた答えが「そのために化粧して服考えるのが面倒くさい」だった。聞きたいことはあるけど、別にLINEでいい。なんなら別に聞けなくてもいい。わざわざ会う必要がない。当時より今の自分の方が遥かに良い女になれたとは思うけど、それを見せたい相手でもない。好かれたい相手に少しでも関心を持ってもらえて、認めてほしい相手に認められていたらそれでいい。私の人間関係はその基準で大体が完結している。昔付き合ってた人とは色々あった。その他、色々あった人はそれなりにいるけど、誰のことも嫌いになっていない。きっと前にも書いたと思うけど、私にとって人のことを嫌うという行為は酷く労力を使うことで、そんなところに使う労力は全部今大切にしたい人たちに回したいと思っている。誰かを憎むことで疲弊するのは自分だ。なんて勿体ないことなんだろう。

「最低1年は覚悟だな」と思っていたコロナの影響だが、「最低1年」が結構現実味を帯びてきた。一体私は次いつ恋人と会えるんだ?記念日に旅行に行くために1年がかりでしている貯金があるけど、あと数か月で旅行に行けるようになっているのか?祖父母にもいい加減顔を見せたいんだけれど、次に会うのはいつなの?などなど、まあ考えだしたらキリないけど、「仕方ない」で割り切るしかない。1日の疲れや眠気に支配される夜中よりも、「ああ、今日も誰にも会えないのか」と薄明るい部屋の中で微睡む早朝の方が、確かに孤独だ。孤独を愛せ、愛を貫け。人間はどこまでいっても孤独な生き物なので、今日も誰かのことを想うのでしょう。

112

もう4月も中旬だというのに、未だにボルドーのカーディガンを着ている。季節感ないな、と我ながら思う。好きなのだ、この色が。パーソナルカラー診断によると私はイエローベースの春。パキッとしたオレンジやコーラルピンクや、明るくて淡いパステルカラーが似合うらしい。確かにその色の布をあてられた時、顔が明るく見えた。けれど苦手なのだ、その類の色が。何しにパーソナルカラー診断にいったんだか。
米津玄師さんの曲の中で、Blue Jasmineという曲がある。彼の曲の中では1番好きだが、この世に幾千とあるラブソングの中でもトップクラスで好きな曲だ。大好きな曲なので、聴きたくなれば年がら年中いつでも聴いているけど、春は特に聴きたくなる。簡単にいうと「これまでも、これからも一緒に歩んでいこうね」という曲なのだが、曲のテンポが人の歩く速度と一致するのも彼の細かい技術が利いているなあと感心する。まあこれは偶然かもしれないけど。あと、性別を問わないラブソングであるところも好き。「差し出したお茶を美味しそうに飲む君のその笑顔が、明日も明後日もそのまた先も変わらなければいい」だなんて、こんな幸せばかりを願う毎日でありたい。
どこの誰か分かるようで分からない人の幸せをとてつもなく陰から願った夜だった。会うことも話すことも関わることもないでしょう。けどもしいつかそういう機会があったら、「たまたまだよ、誰も悪くない、もちろんあなたも」そう伝えたい。どうか幸せになってほしいと思う。ほんの少し歯車が噛み合わないだけで、ほんの少しボタンがずれるだけで、人の人生は、人の繋がりは大きく関わるものだと改めて感じる。とてもとても大切な「ちょっとしたこと」がこの世にいくつあるだろうか。私はいくつ気付けるだろうか。見逃していいものなんて、この世にはもしかしたら存在しないのかもしれない。

111

緊急事態の世界を生き抜く皆様、こんばんは。3か月前はこんな挨拶思いつきもしなかったね。ご無事でしょうか。私は相変わらず不要不急の通勤をしております。「吉村(大阪府知事)寝ろ」というハッシュタグが流行る中、「井戸(兵庫県知事)起きろ」というハッシュタグを見つけてちょっと笑った。うちの県はもう駄目だ。

自粛自粛言われすぎて疲れたので、色んなものを解禁した。というか前からやろうと思っていたけど長らく出来ていなかったことに手を付けた。まずは1年以上食べなかったミスタードーナツ。家から徒歩20分という微妙な距離にあるチーズケーキ屋さんのチーズケーキ。銀行口座の移し替え。積み立てNISAも始めた。恋人がいることを職場にはずっと隠してたけど、この間からこっそり指輪を付けて行っている(おかげでなんとなく寂しさが紛れる)。あとはYouTubeでダンス動画観ながら一緒に踊ったりもしていて、私はなかなか愉快に過ごしている。昔から何かを制限されると別の抜け道を考えてしまう性分でよかったと思った。

なかなか愉快に過ごしているけど、この状況はいつまで続くんだろうか。今週末一緒に行く予定だったライブは中止になった。コロナがあまりにも流行るので会うことさえも中止になった。1年近く楽しみにしていた花火大会も、このままだと希望は薄いだろう。先が見えない我慢というのは、正直辛い。けれど今はこれが最善だ。最前の選択をしている私たちに、どうか最高の報いがありますように。

家にいて暇なのでちらほらアニメを観ていた。昔に比べて感受性がだいぶ劣ったなと思う。いちいち反応しなくなったというか、「まあそういうこともあるわな」で全てを片付けているような節がある。社会で働く上では一定の潔さは大事だ。いちいち心を動かしていたら持たない。というか、それに気付いたから私は潔く諦めるようになった。けど、本当にそれで良かったのか、今でも分からない。だって、アニメを観ながら私はもっと感動したい。

潔く諦めるようになったのとはまた別のきっかけで、一時期感情が死滅していた。だから今、日常の中でちゃんと笑えている自分にほっとする。泣いてる自分にもほっとする。どちらも一時期出来なかったことなので、また出来るようになったことに未だにいちいち安心する。人のことを心配する気持ち、相手のことを大切だと思える気持ち、 人のことを好きだと思う気持ち。感情が死に絶えていたのはほんの2年ほどの間だったけど、また芽生えてきたことに安心する毎日だ。柔軟な心を持っていたい。ちゃんと笑って、悲しんで、怒って、可愛いものにはしゃいで、美しい物に感動する、そんな毎日がいい。そしたらきっとこのブログももっと楽しいことが書けると思う。書くことは好きだから、本当はもっともっと色んなことを書きたい。

緊急事態の世の中、街から人が消えた。静かな街はどこか落ち着く。結局は日常なんてものは心の持ちようなのかもしれない。どうかみんな、ご無事でね。

110

10時間近く仕事したけど、今日はほとんど生産性のない1日だった。営業で客に断られた時も「あっそ、はいはい!」としか思わなかったし、上司に何か言われた時も「うるせー!」としか思わない(最近はたまにむかつきすぎて泣く)。けど、生産性がない1日を送ってしまった日は少し凹む。いや、結構凹む。10時間もあって何も生み出せない自分は無能すぎやしないか?と本気で思う。そんなわけで、少しでも何かを生み出すために帰宅して珈琲淹れてPCを開いて今に至る。他にもやることあるでしょうに。

最寄り駅に着いて少し歩いていると人が2人立っていたが、どうも様子がおかしい。近くを通り過ぎるときに、それが喧嘩中で険悪なムードの母子であることが分かった。子供は高校生くらいの男の子。何があったか分からないけどかなり怒っていた。息子の言い分を両手を前で組んで黙って聞く母。全くの赤の他人でありながら胸が痛む。けれどそれは私が親からそれなりの愛情を受けて育ったから抱く感情であって、事情はそれぞれなのだろうという思いに至る。私は周囲から大切にされて生きてきた。一人暮らしを始めてから特にそう感じる。だから親を、家族を大切にしたいな。そう思いながら、正月以来実家に帰っていない。次に帰るのはGWかもしれない。同じ市内に住んでいるんだけどな。

「会えるうちに会っておけ」という言葉はよく耳にする。全くその通りだと思う。一方で「いつ会えなくなってもいい」と思いながら生きている自分がいる。「もしかしたら今日がこの人と会う最期の日かもしれない」という気持ちは、特に会う頻度が少ない相手ほど強く抱いている。そういう想いに至ったのはこれまでの二十余年の間で経たいくつかの「別れ」のせいだろう。大半が永遠のお別れだ。22~24歳くらいの頃、立て続けに「また会える」と思っていた人たちと永遠の別れをした。人間は本当にいつ死ぬか分からない。「今日がこの人と会う最期の日かもしれない」と思うことはきっと自分の心を守るための思考なんだと思う。私は覚悟を決めてこの人と接した。だから、もう会えなくなっても構わない、と。それでも堪えきれなかった涙があったけど。

思うに、人と人との縁の強さは予め決まっている。何かをすれば強くなるものではない。それを「運命」と呼ぶかと聞かれると少し違う気がするけど、とりあえずきっと予め決まっている。住んでいる場所が離れていようが、連絡を取る頻度が少なかろうが、それでも繋がり続ける相手とは繋がり続けられるものだ。それは私の人生が証明している。逆に多少会えなかったり連絡が取れなかっただけで消滅する関係ならその程度の縁だったと思うしかない。誰も悪くない。だって、最初から決まっているんだから。

私がよく「腐れ縁」と呼んでいる相手との関係がまさにそれだ。高校の時から約10年の付き合いになるが、プライベートで会ったことは1度しかない。連絡こそそれなりに取り合ってきたものの、会うのは年に1度あればいい方だし会っても特に何か話すわけではない。高校の同級生には「なんでそれだけ仲がいいのに付き合うどころか会いすらしないのか」と不思議がられるが、私たちは、少なくとも私は、相手がそれなりに元気そうにしていることを確認できたらそれでいい。色々あるだろうけど頑張って生きているという事実以外に、特に確認したいことも交わしたい言葉もない。頼る気は更々ないが、きっとこの先も互いのことを視界の隅に入れあいながら生きていくんだろう。ちなみにそんな彼と会った「1度」というのは私が人生の本当にどん底に居た時だ。あの時真っ先に駆けつけてくれた恩を、私はこの先も忘れない。

この記事を読んでいる貴方と私の縁の強さが如何ほどのものかは、きっと人によるだろうけど、どうか縁の強い人がいてくれたら嬉しい。たとえ強くなくても今繋がれているのだから、今を大事にしたい。距離が近いことだけが、連絡をよく取るだけが、会う頻度が高いだけが、きっと全てではないよ。

みんな、明日もどこかでそこそこ元気で生きていてね。いつかどこかで会えたら、その時はどうぞよろしくお願いします。

109

昨日は普通に仕事をして帰ってきただけなのに帰宅したらなぜか0時近かった。身体が動くうちに化粧を落とし、シャワーを浴びる。腐れ縁から新曲のPVが届いていたのを思い出し、歯磨きをしながら観る。形になる前にデモのワンフレーズだけ聴いていたが、あのワンフレーズがよくここまで化けたなと思った。この曲のこと、好きだと思った。あと相変わらず私はこの人のギターが好きだ、とも。感想を伝え、そのまま眠り、目が覚めてもう朝が来たことを知る。昨夜は晩御飯を食べていなかったので空腹を感じ、近所のパン屋にパンを買いに行く決心をする。私が行く時間帯にはいつもなくなっているフルーツサンドが残っていたので、他の商品には目もくれずそれを選んだ。正直そこまで好きではないのに、あると選んでしまうフルーツサンドは魅力的だ。多分、あの真赤な苺に惹かれたんだと思う。会計時に「今日はこれだけで大丈夫?」とおばちゃんに聞かれる。そのパン屋ではいつも食パンを買うのに今日はフルーツサンドだけだったので聞いてくれたのだろう。「食パンは明日買いに来ます」と伝えた。この街に来て間もなく2年、少しずつ馴染んできた気がする。

怒涛の2月だった。最終週に自分でも驚くほど体調を崩した。多分あそこまで長期間駄目になったのは人生で初めてだ。その前週も帰宅してから身体に力が入らず全く動けない日ばかりだった。今思えば前兆だったのだろう。刻一刻と迫る納期、抗生物質を飲んでもなかなか治らない自分の身体、万全の態勢で仕事に臨めない現実、それでも続く生活。かなり追い詰められ、初めて一人暮らしが辛いと感じた。そんな状況の中で進めていた作業が、昨日やっと一段落着いた。今週末は自分を甘やかしたい。そして来週からラストスパートが始まる。

気付けばもう3月。長い長いこの案件がやっと今月末終わりを迎える、予定。そしてまた春が来る、まだ肌寒い日はあれど日差しは春だと感じることが増えてきた。紫外線もそろそろ強くなってくるので、また日焼け対策を考えなければいけない。基本的に春と夏は得意ではない。明るすぎるから。元気に生きることを強要される気がするから。良いことといえば洗濯の乾きが速いことくらいだ。汗も掻きたくないし日焼け止めも塗りたくない。だから毎年「今年は何かあればいいな」と思う。何かが終わっても、何かが始まるならそれでいい。そんな淡い希望を快晴の空の下に掲げたい。

108

「このままだと命が危険です」

医者からこんな大事なことを、こんなあっさり言われる日が20代で訪れるなんて思っていなかった。素直に「は?」と思ったので、多分本気の死の宣告をされてもこんな感じなのだろう。幸い今回は治る(と思われる)のでさほど悲観していない。治る見込みが98%とはいえ、この先の色んなこと考えたら憂鬱でしかない。とりあえず春くらいに再検査するので、その時に落ち着いていてほしいなと思う。

通勤片道2時間の生活が始まって1週間。1日のうちに「通勤」という仕事も生活もできない時間が4時間あるのはやはり心身ともに辛い。それでもお客さんと接することが増え、毎日顔を合わせてるうちに、どうにかして力になりたいなという気持ちは強くなってきたのでまだやれている。けれど辛いものは辛い。滅多に荒れない肌がかなり荒れてしまったので、そういう意味でも早くこの生活とおさらばしたい。それはすなわちお客さんとのお別れを意味するので、少し寂しい。

恋人とも喧嘩してしまった。26年生きておいて、まだ自分の中に言葉にできない感情があることを知る。喧嘩しながら見つけたんだけど、結局はあの感情は寂しさと嫉妬から来るものだったなと思う。いつまでそんなものと戦ってるんだろう。馬鹿みたいだ。全部馬鹿みたい。自分が。彼のことが好きで、大切にしたいという、その気持ちだけでいいはずだ。距離を置きたかったのは彼とではなく、どうしようもない自分とだ。これは今、書きながら気付いた。

たまたま連絡が来たついでに、昔から仲の良い友人に相談したら「睦月らしくないよ」と言われた。私もそう思う。「けど頭のいい睦月がそこまで悩むなんて、余程素敵な彼氏さんなんだね」と言われた。私もそう思う。「君は頭がいいから、思考と感情を切り離せる。だからこそ感情だけが先走って思考が追いつかないから苦しいんだと思う」と言われた。なるほどなと思った。自分では気付かないことを教えてくれる。「理由がわかったんでしょ?それなら大丈夫だよ」と言われた。理由が理由なので何も大丈夫ではないのだけれど、そうであってほしいと心から願う。

そんな感じで2月初週は散々だった。この先、仕事は益々過酷になる予定。自分が自分でなくなる瞬間を私はこの世界で最も恐れているのだけど、その可能性が圧倒的に高くなるので怖くて仕方ない。正念場なのは仕事だけじゃない。自分との戦いもだ。そしてその瞬間との戦いはこの先ずっと回避出来なくなることが今日判明した。2020年、12年に1度の最高に幸せな年らしいけど、出だしの悲惨さはここ数年の中で群を抜いている。出だしが悲惨であるほど後半の巻き返しが良いというのが私のジンクスなので、どうかこの先に幸せがあるといいなと思う。とにかく今は、頑張り時。

107

年が明けてから、自分の弱さや不甲斐なさに打ちのめされまくっている。1番見たくない、目を背けたい部分が何度も何度も目の前をちらついて仕方ない。もっと強ければよかった。まだ誰かと付き合うのは早かったのかもしれない。そんなことすら頭をよぎる。まあ過ぎ去ってそうなったものはもうどうしようもないし、未来から逆算して今出来ることを考えるしかない。しかしどう考えたって、強くなる以外に道はない。今年の課題。

とりあえず日常的なことを書いていた鍵垢の方を消した。仕事が大変になる2月3月、愚痴が増えるのは目に見えていたし、愚痴っぽい自分は好きじゃないし、じゃあ書く場所自体を消せばいいやと思った。その代わり日常的なことはInstagramの場を借りようと思う。本アカと同じIDで検索すると出てくるので、お気軽にフォロリクくださいね。アンダーバーの数は両サイド4本ずつです。

昨日は、この先仕事で悲惨な目に遭うことが確定してメンタルが完全に死んで、お風呂上りに化粧水をはたきながらずっと泣いていた。随分涙脆くなったなと思った。前職の方が遥かに大変だったはずなのに、今の仕事になってからの方が泣いてばかりだ。それだけ仕事と向き合えているということならば、まだ救いだと思う。泣きながら寝たせいで起きてからも頭が痛かった。二日酔いよりもずっと酷い頭痛だ。勘弁してくれと思った。

家事を片付けるために身体を起こしてせっせと洗濯物を干していたら、1本の連絡が来た。学生時代のバイト先で一緒だった、薬学部に通っている後輩が今春やっと卒業するにあたって、当時のメンバーでOBOG会をしようというお誘いだった。同期も後輩も好きなので、もちろん行くつもりで調整さんを返そうとしたら、そこに元恋人の名前を見つけて反射でスマホをベッドに投げていた。もう大丈夫だと思っていた。もう全部水に流せているし、いつかまた笑って一緒にお酒が飲めたらいいなと、そのくらいまで思っていたのに、いざその場面がくると全身が拒絶していた。瞬時に浮かんだ感情は「もうやめてくれ」だった。そこでまた精神的にダメージをくらって、結局今日は昼過ぎまでほとんど動けなかった。最悪だ。

結局どこまでも過去は付いてくる。全部忘れたい。今と未来のことしか考えたくない。出来れば未来も考えたくないけど、まあそこは考えざるを得ない。一寸先は闇の世の中だし、私の直感は大体外れるので、大して性能のよくない頭でも動かした方が幾分かマシ。

きんぐぬーの言葉を借りれば、真っ新に生まれ変わって人生一から始めようがへばりついて離れない地続きの今を歩いているんだから、どれだけ幸福の糠床にずぶずぶ漬けこまれても、全部忘れるなんて無理なんだろう。じゃあいつになったら大丈夫になる?やっぱり私がちゃんと強くなれた時か。けど最初から強かったら多分見えたなかったものも、出会えてなかったものも沢山あったと思う。そもそも「睦月」という存在は生まれなかった。きっと恋人とも付き合ってなかっただろう。誰かに依存しないと生きていけない人生は絶対に嫌だけど、ひとりで立とうとしても立ちきれなくて、誰かを必要としてしまう弱さは許しておきたいと思う。この先も。