【 razbliuto 】

孤独を愛せ、愛を貫け

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10時間近く仕事したけど、今日はほとんど生産性のない1日だった。営業で客に断られた時も「あっそ、はいはい!」としか思わなかったし、上司に何か言われた時も「うるせー!」としか思わない(最近はたまにむかつきすぎて泣く)。けど、生産性がない1日を送ってしまった日は少し凹む。いや、結構凹む。10時間もあって何も生み出せない自分は無能すぎやしないか?と本気で思う。そんなわけで、少しでも何かを生み出すために帰宅して珈琲淹れてPCを開いて今に至る。他にもやることあるでしょうに。

最寄り駅に着いて少し歩いていると人が2人立っていたが、どうも様子がおかしい。近くを通り過ぎるときに、それが喧嘩中で険悪なムードの母子であることが分かった。子供は高校生くらいの男の子。何があったか分からないけどかなり怒っていた。息子の言い分を両手を前で組んで黙って聞く母。全くの赤の他人でありながら胸が痛む。けれどそれは私が親からそれなりの愛情を受けて育ったから抱く感情であって、事情はそれぞれなのだろうという思いに至る。私は周囲から大切にされて生きてきた。一人暮らしを始めてから特にそう感じる。だから親を、家族を大切にしたいな。そう思いながら、正月以来実家に帰っていない。次に帰るのはGWかもしれない。同じ市内に住んでいるんだけどな。

「会えるうちに会っておけ」という言葉はよく耳にする。全くその通りだと思う。一方で「いつ会えなくなってもいい」と思いながら生きている自分がいる。「もしかしたら今日がこの人と会う最期の日かもしれない」という気持ちは、特に会う頻度が少ない相手ほど強く抱いている。そういう想いに至ったのはこれまでの二十余年の間で経たいくつかの「別れ」のせいだろう。大半が永遠のお別れだ。22~24歳くらいの頃、立て続けに「また会える」と思っていた人たちと永遠の別れをした。人間は本当にいつ死ぬか分からない。「今日がこの人と会う最期の日かもしれない」と思うことはきっと自分の心を守るための思考なんだと思う。私は覚悟を決めてこの人と接した。だから、もう会えなくなっても構わない、と。それでも堪えきれなかった涙があったけど。

思うに、人と人との縁の強さは予め決まっている。何かをすれば強くなるものではない。それを「運命」と呼ぶかと聞かれると少し違う気がするけど、とりあえずきっと予め決まっている。住んでいる場所が離れていようが、連絡を取る頻度が少なかろうが、それでも繋がり続ける相手とは繋がり続けられるものだ。それは私の人生が証明している。逆に多少会えなかったり連絡が取れなかっただけで消滅する関係ならその程度の縁だったと思うしかない。誰も悪くない。だって、最初から決まっているんだから。

私がよく「腐れ縁」と呼んでいる相手との関係がまさにそれだ。高校の時から約10年の付き合いになるが、プライベートで会ったことは1度しかない。連絡こそそれなりに取り合ってきたものの、会うのは年に1度あればいい方だし会っても特に何か話すわけではない。高校の同級生には「なんでそれだけ仲がいいのに付き合うどころか会いすらしないのか」と不思議がられるが、私たちは、少なくとも私は、相手がそれなりに元気そうにしていることを確認できたらそれでいい。色々あるだろうけど頑張って生きているという事実以外に、特に確認したいことも交わしたい言葉もない。頼る気は更々ないが、きっとこの先も互いのことを視界の隅に入れあいながら生きていくんだろう。ちなみにそんな彼と会った「1度」というのは私が人生の本当にどん底に居た時だ。あの時真っ先に駆けつけてくれた恩を、私はこの先も忘れない。

この記事を読んでいる貴方と私の縁の強さが如何ほどのものかは、きっと人によるだろうけど、どうか縁の強い人がいてくれたら嬉しい。たとえ強くなくても今繋がれているのだから、今を大事にしたい。距離が近いことだけが、連絡をよく取るだけが、会う頻度が高いだけが、きっと全てではないよ。

みんな、明日もどこかでそこそこ元気で生きていてね。いつかどこかで会えたら、その時はどうぞよろしくお願いします。