【 razbliuto 】

孤独を愛せ、愛を貫け

154

こんにちはあるいはこんばんは。SPY×FAMILYのアニメ化が大成功すぎて久しぶりに毎週楽しみにアニメを観ている。

祖父が亡くなって間もなく2か月が経つ。3月末に納骨もして、葬儀にまつわる行事は一段落したはずだけどやっぱりまた会えるんじゃないかなと思ってしまう。ふとした瞬間に家でおじいちゃんの写真を見ていることが多い。前に何かで、「誰もいないのに誰かがいる気配を感じるときは、本当に誰かがいる」という話を聞いたことがある。だから私が思い出すときは、おじいちゃんがそこに居てくれたらいいなと思う。納骨の時に知ったんだけど数年前にお墓を移設した関係で今の墓にいるのがおじいちゃん一人だけになっちゃうので、ひとりで寂しい思いさせてるくらいならいくらでもこちらに帰ってきてほしいなと思う。おじいちゃん、そちらはどうですか。友達には会えましたか。こっちは見ての通り、だいぶ夏が近づいてきました。

世間一般的に4月は年度切り替えで忙しくなるタイミングだけれど、私は年度切り替え等はあまり関係ない仕事をしている。とはいえ月前半は何故かびっくりするほど忙しかった。5月はもう少しましだといいなあ。まあ忙しいのもそんなに嫌いじゃない。

昨年の上司の退職を皮切りに、私に仕事を押してくれた人たちがどんどん転職していく。色んな人が辞めていく中で「会社のことは本当に嫌いだけど、この人にだけは着いていこう」と思っていた人まで辞めることになったので、これは神様からの「君ももうやめていいよ」というメッセージなのだと受け取っている。なので近々転職したい。仕事を辞めることは簡単なことだけれど、転職先を決めることはとても難しい。前回の転職時には考えたことがなかった悩みに直面しているので、この数年でいくらかは成長したんだろうなと思う。もう少し悩みたいけれど、きっと私のことなので最後は何も考えず直感で決めるんだと思う。直感で決めたとして、そこでどうにかやっていけるだけの運の良さは、多分あると思うから。苦労したらそれはそれでいい。

それ以外にも新しく勉強を始めたり、家計を見直してみたり、毎日軽い筋トレをしてみたり、一時期のことを思えばだいぶアクティブになっている。最近は祖父にもらった最後の誕生日祝いにいくらか上乗せして、ずっと欲しかった香水を買った。大切なお金だから絶対に適当な使い方はしたくなかったのだけれど、この香水なら自分を幸せな気持ちにしてくれるし、そして何より律してくれるだろうと思って購入した。なかなかいいお値段だったけれど、本当に買ってよかったと思う。大切にしたい。この香りが似合う人間になりたい。

あとは本当に初期から付き合いのあったフォロワーと数年越しにやっと会えた。画面越しでも素敵な人はやっぱり実際会っても素敵な人で、とても楽しい時間を過ごせた。出会えたことに本当に感謝。こういう素敵な出会いがツイッターを通して沢山あるから、まだまだ辞められそうにない(苦笑)

転職を考え始めていることもあり、最近改めて自分がどういう人間になりたいかを考えている。過去の私はこういうことばかり考えていたんだけれど、この数年は仕事に追われすぎて(というか日々精神的にやられすぎて)「自分」について考えるという時間がほとんどなかったように思う。先ほどの香水の話の続きにはなるが漠然とした「こういう人になりたい」はあるので、そこをもっと深堀しながら目指していけたらいいなと思う。

本当に不思議なんだけれど、あるタイミングでそれまで自分がずっと悩んでいたりどこか引っかかっていたことがスッとなくなった。だからこうやって新しいことを考えたり悩めるようになっている。そのタイミングというのが祖父が亡くなった時で、祖父の死というインパクトが大きすぎる出来事に対して他の悩みがどうでもよくなっただけかもしれないけれど、もしかしたらついでに持っていってくれたのかもしれないなと思う(持っていくにしては邪魔だと思うから適当にどこかで燃やすか捨てるかしておいてほしいけど)。

だから、これからは沢山考えて、悩んで、動いていきたい。この数年間のブログ、本当に毎回「仕事がつらい」ばかりで自分でも嫌になっていたのだが、やっと抜け出せるかもしれないと思っている。仕事以外にも人生には考えたり悩んだりすることが沢山あるはずなので。

自分を取り戻す。もう誰にも傷付けられたくないし、奪わせない。

153

追悼。

人間の争いというものは大体お互いの正義がぶつかった結果起きるものであるが、こんなにも理不尽な戦争が2022年の世界で起きることに驚きながらも、そこで失われゆく無関係の命たちに思いを馳せながら、しかし戦争は世界中でずっと起きてるけどなんでここだけこんなにピックアップされるんだそれってどうなんだと思いつつ、感染症で引き続き国内が大変なのにわざわざ渋谷ハチ公前という狭い場所に集まって反戦デモをする日本人を憂いながら傍観していたら、身近に不幸が起きた。その日は雲ひとつない青空が広がった、穏やかな日だった。2022年2月27日、祖父が亡くなった。享年96歳。

母方の祖父は私が生まれる前に亡くなっているものの、それ以外の祖父母は未だに健在。とはいっても全員が高齢もいいところなほどの高齢で、特に祖父は年々体力の衰えが見えていたのでその日が来るのも遠くはないだろうと思っていた。けれどまさか、こんなに早くその日がくるとは。3月の連休に帰ろうと、そこだけは予定を1つも入れていなかった。誰もが、春は迎えられるだろうと思っていた。もう少し暖かくなったらドライブにいこうと話していた。桜、見せたかったなあ。

その前日までショートステイに行っており、帰宅してから少し体調を崩していたらしい。血中酸素濃度が芳しくなかったのでとりあえず入院。すると少し数値が戻ったので、栄養のある点滴も打ちながらこのまま回復するだろうと思っていた。けれど容体が急変、そのまま旅立った。入院する前に祖母に「このまま家で死なせてくれ」と手を合わせて訴えたらしい。だから本人もなんとなく分かっていたんじゃないかと思う。その時の祖父母の様子は実際に見てはないが目に浮かぶ。本当にいたたまれない。結局入院の方向に舵を切ったのは、父をはじめとする子たちで、一応本人も納得の上で病院にいったらしい。そこから1日もたなかった。祖父は家が大好きだった。ショートステイもずっと嫌がっていたのだけれど、離れる時間を設けないと今度は祖母がやられてしまうという理由で渋々行ってもらっていた。だから家に早く帰りたかったんだろうね。もしあのまま助かっても、そもそも体調がだいぶ悪くなっていた祖父は病に苦しめられていただろう。祖母も体力的にも精神的にもさらに厳しい毎日が続くことになる。私が最後に会ったのは昨年11月。その時はまだ元気でいつも通り会話もできた。次に会うのは3月の連休を予定していたのだけれど、ベッドから動けくなってしまった祖父を目の当たりにしてショックを受けることを覚悟していた。結局そこまで弱った姿は見ていないので、私の中での祖父はいつまでも元気な頃のままだ。「おじいちゃんも頑張るからな、お前もがんばれ!」とまっすぐ目を見て話してくれる。その他、様々な事情を含めて、このタイミングでの別れはきっとよかったんだと思う。分かっているのに、涙がずっと止まらなかった。通夜もそこそこ泣いたが、告別式に至っては始まる前から終わるまでずっと泣いていた。泣き崩れなかっただけよく耐えたと思うくらいの大号泣。大人になってから人前でこれだけ泣くとは思わなかった。当たり前のように今までの人生に登場していた人と、この先何十年も会えなくなる悲しみは、想像よりもずっと量り知れなかった。

本人は行きたくなかったかもしれないけれど、入院してくれたおかげで子(父、叔父、叔母)が病院に駆けつけて最期を看取ることができた。昏睡状態になってからも半日ほど時間をくれたから、孫たちもすぐに動けた。みんなが集まれるように、本当の本当に最期まで頑張ってくれた。あと、恐らく徐々に低酸素状態になって亡くなっていったと思うので恐らく最期に痛い苦しい思いはしていないだろうとのこと。本当によかった。心停止したとき、祖母は自宅にいて、その連絡を受けてから家を出た。祖母が到着した時は心停止してからいくらか時間が経っていたのに、祖母が声を掛けたら一度戻ってきたらしい。人間は心臓が止まっても脳は生きている。特に耳は最後まで聞こえるから、心停止した人間には感謝の気持ちを沢山伝えてあげてほしいと何かで読んだことがあったが、本当にその通りだった。最期に祖母の声が聴けてよかった。祖父は本当に、祖母のことが大好きだったから。

眠る祖父の顔は本当に安らかで、やっと苦しみから解放された安心感がこちらにも伝わってくるようだった。あまりにも穏やかで、いつもみたいに「おじいちゃん、よ~寝たわ」と起きだすんじゃないかと思うくらいだった。向こうにたどり着くまでの間におなかが空かないように棺には大量の食べ物を入れて、向こうにたどり着いてから退屈しないようにみんなで手紙も書いて沢山入れた。お散歩したり、また大好きな農業が出来るように、靴とか帽子とかタオルとか作業着も入れた。私たちがそっちにいくまでの間、色んなことして元気に過ごしてくれたらいなと思う。

お葬式も、家族葬という名目だけどかなり部落の文化が残っているので結構な人数がきた。「自分は今までこの集落のために頑張ってきたから、コロナで家族だけしか来ないのは寂しいから絶対いや」と生前話してた。本当に沢山の人が来てくれたし、祖父の前で泣いていた。1年前だったらこうはいかなかっただろう。本当にしんどかったと思うけど1年頑張ってくれたおかげで、賑やかな会になった。

ガクッと弱り始めたのは本当にこの数か月で、それまではぴんぴんしていた。けれど土地の整理や農機具の整理を数年前から進めていた。徐々に体が悪くなって、とある機械を付けていたのだけれど、医師からはその機械をつけたらもって3年と言われていたらしい。3年以上、6年くらい、祖父は生きた。気になることも大体片付けられていたと思う。でも、どんな気持ちで機械をつける決意をしたのだろう。どんな気持ちで様々な整理をしていたのだろう。何十年もやってきた農機具を手放すとき、どんな気持ちだったんだろう。想像するだけでつらくなる。けれどそんな素振りを一切見せなかった。強い人だと思う。その強さすら、ここまで感じさせない人だった。

ところで命日となった2月27日は、ちょうど1年前亡くなった祖父の妹さんの誕生日だったらしい。孫から見ても分かるくらい、高齢になってからも本当に仲の良い兄妹だった。祖父が昏睡状態になってから、しきりになにかを掴もうと手を動かしていたそうだが、あれは妹さんの手を取ろうとしていたのかもしれない。だったら、あちらまで連れて行ってくれるのは妹さんだと思うから安心だね、とみんなで話していた。そうだったらいいなと、心から思う。

思い返せば出てくるのはひとつも忘れたくない楽しい思い出ばかり。けれど、後悔だってある。私がこれでもかというくらい泣いてしまったのは、後悔があったからだ。その悔いは、私が墓場まで持っていって向こうで直接謝ろう。どれだけしんどくても、下の世話は一切させなかった。家から一歩も出なくても、自力で着替える体力がなくなってしまってからも、ちゃんと寝間着と部屋着は分けていた。自分の祖父が、最期の最期までプライドと礼儀をきっちり守りきった格好良い人であることも、私は忘れたくない。

仏教の考え方では、人間として生きてるのは人間道に振り分けられたからで、そこが終わればまた仏様のもとに還る。だから死んだあとに辿りつく場所には亡くなった方々がいるわけで、さらに今回そこにおじいちゃんが加わったので、死に対する恐怖はなぜか薄れた。問題はきちんと仏様のもとに辿りつけるかどうかなので、引き続きちゃんと精進して生きいなければいけないなと思う。祖父はきっと辿り着けると思うし、私もちゃんと生きて辿り着くからという自戒も込めて、「さようなら」ではなく「またね」と伝えてきた。

式の最中のアナウンスでなにかの和歌が引用されていた。全文は忘れたけれど、「いたく、かなし」で締められる句だった。現代語訳すると「とても悲しい、痛いくらい悲しい」「とても愛おしい、痛いくらい愛おしい」のどれでもとれる。そしてその全てが当てはまる。また、亡くなった日を「命日」と呼ぶ。命の日、と書く。命は、死をもって完成されるという考えに基づくのだとしたら、本当に日本語は美しいと思った。

祖父は間違いなく立派な命を完成させた。本当に、永らくお疲れさまでした。向こうに辿り着いたら、たくさんの友達と晩酌でもしつつ、ゆっくり休んでほしい。

152

つい先日始まったばかりの2月がもう20日になっていて驚く。夕方18時でも空がうっすら明るくなったり、家の中から見ると外の日差しがすっかり春めいていたり、外を歩くと紫外線を明確に感じたりする一方で、耳がちぎれそうなくらい寒い日だってある。1年の中で1番寒い時期が2月であることを思い出す。あと8日もすればまた月が替わるが、季節も世の中も少しは変わるだろうか。

先日久しぶりに話した。たっぷり2時間半くらい、本当に色んなことを話した。沢山伝えたし、伝えてもらった。好かれることと嫌われないことばかり考えていた昔に比べて、嫌われたり傷付けてしまうかもしれないけれどそれでも伝えたいことを伝えられるようになれたと思う。それだけでも、この膨大な月日にちゃんと意味はあったのだと思いたい。

結局私は自分の色眼鏡を通してでしか世界を見れていない。自分の直感がいいことは自負していて、そのせいもあって「自分の考え」という色眼鏡を物事を見すぎていた。そして、自分や世の中の基準が相手の基準とは限らない。100人中99人がAだと思うことを、Bだと思う残りの1人が目の前の人間である可能性がある。ちゃんと、ちゃんと、相手の声を聴くこと。分からないことは「それはどういうこと?どうしてそう思うの?」と聞いてもいいんだと思う。大切なのはちゃんと聴くこと。人と向き合うにあたって自分が足りていなかったことを教えてもらえた。本当に有難いこと。

一卵性双生児ですら同一の人間ではないのだから、生まれた場所も育ってきた環境も全然違う私たちは正真正銘の赤の他人なんだけれど、それにしたって違うところが多すぎると話す度に思う。目と耳が2つずつあって鼻と口が1つ、両手両足があって、それぞれ指は各5本。そのくらいしか共通点がないんじゃないかとすら思う。私は別にそこにがっかりはしていなくて、自分の視野の狭さとか考えの偏り方とかを再認識させてもらえるし、自分の常識に依らずに相手をきちんと見ることの大切さを痛感するばかりだ。あまりにも違うので沢山考える。どうやったら伝わるか、どうやったら相手のことをもっと理解できるか、それはそれはめちゃくちゃ考えるし悩む。生きてて他人のことでこんなに悩んだことある?というくらい悩む。それと同じくらい自分を振り返る。そういう自分はどうなんだ、自分はこういうところが出来ていないかも、気を付けよう。その連続だ。「悩まなくていいことで悩ませてしまっているんだろうね」と言われた。確かに悩まなくても生きていけることではあるかもしれないけど「悩むだけ無駄だった」とは全く思わない。全部悩んで良かった。考えてよかった。振り返ってよかった。そういう機会を沢山くれたことにとても感謝している。その気持ちを言葉で伝えられた。受け取ってくれた。よかった。ありがとう。

相手をちゃんと見てちゃんと聞くことは大切だけれど、すべてをそこに委ねてしまうのもなんか違うなと思っているので、引き続き自分の直感というか信念も大切にしながら関わっていけたらいいなと思う。その塩梅が、非常に難しいのだけれど。

謙虚であれ、素直であれ。そのことの大切さをこの数年でとても感じる。辞めた上司のことを私は全然終わった話に出来ていなくて、私がもっと謙虚さをもって日々を過ごし、あの時も素直に指摘を受け取っていたら、きっと全く違う今があったんだろうと、毎日考える。元上司の場合は結果的に伝え方が厳しすぎて私はノックダウンされてしまったんだけれど、本当に私のことを思って言ってくれていたのは、分かる。巷ではよく「『あなたのためを思って~』って言葉は全く役に立たないから無視しろ」なんて台詞が流行っているが、本当に私のことを思って言ってくれている言葉はきっと沢山ある(もちろん相手の自己満足のために使われている場合もあるけれど)。そういう言葉や伝えてくれた相手に対しては、たとえそれが何の役に立たなかったとしても私を思ってくれたことに対して素直に感謝したい。元上司に対しては、最後の最後に「言ってくれた言葉すべてを飲み込めるか分からないけれど、あなたが私のことを本当に思って言ってくれたことだけは分かる。だから、感謝しています」と伝えられていたから、未だに引きずってはいるものの早めに立ち上がって進めてはいるんだと思う。あの人が最後に教えてくれたことは、私にとって本当に大切なことだった。そのことを伝えられる日が、いつかまたくればいいなと思う。

ひとまずどういうわけか元上司の現雇い主と私は一緒に働いているので(本当にどういうこと?)、間接的にでも私が元気にやってることが伝わればいい。

考えることは、本当に尽きない。

151

1日に新年を迎えて、10日にまた一つ歳を重ねた。1日の0時ぴったりにあけおめLINEをくれた友人が数名いた。それまでやりとりしていて返信ついでに、とかではなく完全にそのためだけに送ってくれたらしい。私はそのころジャニカンに夢中でテレビに噛り付いていたので、終わってスマホみて申し訳なくなった…けど、すごい嬉しかった!私もこういう、みんながちょっと嬉しくなることをしたいなと思った。初詣のおみくじは吉だった。吉のわりには良いことが書いてあったと思う(というか吉は良いらしいね?)。何より今の自分にとってとてもスッとくる内容で、おみくじはやはり神様からのメッセージなのかなと思った。書いてあったこと、ちゃんと心に留めておきたい。

今のところ穏やかな生活をしている。年始にベッドの角で膝を強打して思いっきり抉って流血した以外は…。なんと、勉強もストレッチも自炊もしている。あと年始早々、以前から面白いと聞いていたウシジマくんを観始めたら見事にはまって1週間でファイナルまで完投してしまった。思ったより話が重くて、途中で観ながら「多分面白いよって勧められてたのはウシジマくんじゃなくてヨシヒコだ…」と思った。けど、なんか癖になってハマってしまった。ウシジマくん、格好いい。11月から一緒に仕事している人に髪型も性格も話し方もそっくり。山田孝之が上司だったら毎日変なことが起きそうだけど楽しそうだな。ウシジマくんが上司だったら…とりあえず遺書は書いておくかもしれない。

そして10日に誕生日を迎えた。いい加減誕生日が嬉しい歳ではなくなってきたけど、その代わりありがたい日だと思うようになってきた。私は交友関係も広くないし、人ともそんなに遊ばないし、普段雑談の連絡もあまりしない。どちらかというと自分はわりと孤独になりやすい性格をしていると自覚しているからこそ、連絡をくれた1人1人に本当に心からお礼を伝えたい。自分が1年間で人を祝う回数よりはるかに沢山のおめでとうをもらって、本当に嬉しかった。今年はちゃんと全員に返していきたい。本当にありがとうございました。いい1年にしてみせるので、見守っていてくれたら嬉しいです。

そして本日11日、財布を新調した。一粒万倍日+天赦日+甲子の日という1年の中でもトップクラスにいい日+誕生日の翌日ということで、新調するならこの日しかないと思って昨年末から温めていた。数年間片想いをしていたブランドのお財布を、自分への誕生日プレゼントと激動の2021年を生き延びたご褒美にした。あと、お財布を買う時にお店から五円玉をいただいた。それがとある神社でお清めされたものだったんだけれど、昔恋人と一緒に御参りした神社だったので嬉しかった。すごい確率だ。

本当に欲しいものはどれだけ時間が掛かっても、いくら貯金をすることになっても自分で手に入れたいと思っている。そして、その気持ちが形を変えていくところを目と手で覚えておきたいので、出来る限りクレカではなく現金一括で買いたい。今回もそうした。

さて、今年も頑張っていきましょう。今年は頑張らないようにしようと思っていますが、とりあえず背筋伸ばしていきましょう。今年は誰とどんな思い出を作れるだろうか。どんな文章に出会って、どんな作品を観て、どんな景色を見られるだろうか。初夢が元TOKIOの長瀬くんだったんですが、今年はどんな年になるんだろう。きっとまたろくでもない一年になるだろうと見越した上で、楽しみだと思う。

改めまして、本年もどうぞよろしくお願いします。

150

2021年、社会人になってからの1年でぶっちぎりで辛い1年だった。多忙すぎた上に色々重なりすぎた。色々についてはこれまで話すぎたので今回は割愛。

先日、少し早めの忘年会が行われたときに1年くらい一緒に仕事をしている先輩と話した。「睦月さんにはこの1年本当に大変な思いさせてしまったと思うけど、本当に感謝している。きっと強くなったよ」と言われた。別に強くなることなんて求めていないからもっと穏やかな毎日がよかった…と思うけれど、確かに強くなったと思うし、この1年が本当に無駄で人生で不要な1年だったかと言われればそんなことはないと思っている。辛い年も、突き抜けると人生で役立つ…こともあるかもしれないらしい。少なくとも技術者としてのスキルは各段に上がったのでそこはよかった。大事な何かがなくなった気がするけれど。私の中で今年の漢字を決めるなら「諦」だ。何かを諦めるには十分すぎる1年だった。何を諦めたかは、一旦は秘密。色々諦めたことによって思考が洗練されたような気もしなくもない。あと色んなものが降ってきすぎて、長年課題だった自分を守ったり大切にしたりする方法を少し学べたのがよかった。

恋人ともほとんど話さなかった1年だった。けど、お互い1番大変な時期がずれたのが本当によかった。多分私が大変な時期と向こうが大変な時期が重なっていたらもっと悲惨なことになっていたと思う。耐えられた自信がない。けど、ちょうど2か月ずれた。神様ありがとう。何があったって、大切な人であることには変わりない人。

とにもかくにも本当に色々あった1年で、ずっと苦しんでたけど終わろうとしている今はそこまで悪い感情は残っていない。降ってくるすべての困難と正面から戦って結構ボコボコにもされたけど、今こうして自分の脚で立っている。あと最近整体にも行き始めて猫背と立ち姿を矯正しているので、名実ともに以前より姿勢が良い。通すべき筋もすべて通しきったと思う。だから、全部乗り越えた今の私が一番強くて美しいんです。誰が何と言おうと、そうなの。

来年はもっと人として自分を洗練させていきたい。精神状態が悪くて本あまり読めなかったから、来年は色々読めるといいな。うすぼんやり目標をもって年を越せそうでよかった。どちらかというと早く死にたい人間のはずなのに、「今年が終われば来年はいい年になる」という未来への希望はちゃんと忘れずに持ってる自分が滑稽だなと思う。けど、それでいいんだよね。

辛い時に連絡くれたり一緒に遊んでくれた友達、忙しい中何回も私の話を聞いてくれた会社の人、所詮SNS上のつながりでしかないのに心配してくれたフォロワー、今年は楽しい記事全然書けなかったのにいつも読んでくれた皆様、本当にみんなに感謝しています。ありがとう。

それでは皆様、本年も大変お世話になりました。来年も楽しい年にしていこうね。

良いお年をお迎えください。

149

最近は自分を大切にする生活を心掛けている。

朝もゆっくり起きて、家事の「何曜日だからこれをやらなきゃ」を極力なくして、ちょっと面倒でも割高でもこまめに自炊をして、けど面倒くさい時は遠慮なくコンビニ様や冷凍食品様に頼る。あと出来る限りシングルタスクをしている。テレビ観ながらスマホ触らない、映画観ながら仕事の書類作らない、自分のことやりながら後輩の質問にもリアルタイムで答えない。最近本で読んだのだが「今ここに集中することは、自分も周りも大切にすることに繋がる」とは本当にその通りだと思う。相変わらず家は取っ散らかってるし、おしゃれな家具もないし、味わい深い食器もないけど、そうやって自分を大切にしている。つもり。

以下、感情の備忘録。

6月から続いていた、長い、長いトンネルがやっと終わろうとしている(終わると信じている)。沢山考えて沢山悩んで沢山後悔して、何より沢山苦しんだ。先日リーダーと話したときに、リーダーから上司にちゃんと引継ぎをするよう伝えてくれていたことを知った。それも結構強めに言ってくれてたらしい。それに対して「分かった」と言ったものの結果的にはこれで、「本当に申し訳ない」と伝えられた。謝ってほしい人以外から謝られるのは、どうすればいいのか分からなくて困惑した。この約半年の間に本当に色々あって私はすっかり人間不信になっていたのだけれど、自分が所属する組織というものに対して懐疑心を抱きながら生きるのと、本当に信用したかった人だけが自分を裏切ってたことを知って生きるのと、どちらが辛いんだろうとぼんやり考えた。

多分こういうことは考えすぎで、考えたってどうしようもなくて、考えない方が楽なんだと思う。「見方が変われば世界が変わる」と私はよく言ってるのだけれどそれの最たる例で、事実なんてものは捉え方次第でいくらでも形を変えて収納可能だ。だから、自分の都合のいいように、咀嚼しやすいように変えてしまえばいいのだと思う。そうはいっても、この半年はこの数年の中でトップクラスに苦しい時期だった。沢山悩んで、考えて、泣いたことを忘れることは、当時の私や今の私に無礼だと思って、ちゃんと素材そのまま咀嚼している最中だ。

この半年でただ唯一よかったことは、自分が最後まで自分の筋を通せたことだ。これまで本当に散々なことがあったけれど、姑息なことは一切しなかった。最後は口頭で伝えることは叶わなかったけれど、今までの感謝の気持ちも直接きちんと伝えた。どれだけ人としての礼儀を欠かれた行動をされても、同じく自分が礼儀を欠いた行動をしていい理由にはならない。それはなにも「何があっても我慢しろ」ということではなく、「やり返すときは正面から」ということでもある。それを最後まで通すことが出来たということが、フラフラの自分の支えにもなっている。当時の私、正しい選択をしてくれてありがとう。

本格的な冬がやってくる前に、この咀嚼しづらくて仕方がないものをきちんと飲み込めたらいいと思う。

148

少し前まで暑いと騒いでたのに夏の気配がすっかり消えて、秋と冬がせめぎ合う季節になった。本格的な冬用の寝具をいつ出すか、最近時々考えている。冬は、もう少し速度を落としてくれてもいいな…

結局3%くらいしか引継ぎされないまま私が正式担当となり、その3%の引継ぎすら上司のSlackを消されたことにより消失して、霜月前半はため息が尽きない期間になってしまった。引き継いだ案件は確かに難しく、「なんでこれがここまで難しいことになるの?」と毎日思っていながら過ごしている。けれど今のところどうにかなってしまっているので、それもそれでしんどいなと思う。1度くらい完全に破綻して責任を他人に丸投げしたい。あいつが悪いと、心から叫んでみたい。

しばらく在宅勤務が増えそうなので、生活の見直しをしている。人と会わないのはとてもとてもストレスフリーなのだが、ひとりで暮らしているものだからうっかりすると一言も発さない日が増えてしまう。外に出る機会も減るわけだから、スーパーの買い物も1週間まとめてではなく3日おきくらいに出るようにペース配分した方がいいのか?とも思っている。始業ギリギリに起きてるけど始業前に1時間は読書タイム取ろうかなとか、終わってからも1時間はリングフィットしようかなとか。色々考えるものの何一つ行動に移せていないので良くない。どれか1つでも実行することを今週の目標にしよう。

上司のこととは別で、仕事で悩んでいることがあったので友達数名に相談してみた。そこまで珍しい話でもないと思うけど、誰からも「あるある~」とか「みんなそんなもんだって」という返しをされなかったので友人のレベルの高さに改めて感動した。

というか友人からそういう返しをされたことが人生であまりなくて(上司からは死ぬほどそういう返しされるけど)、いい友人を持ったなと改めて思った(上司運はほんとにない)。長年の友人でもあり保護者でもある相方からは、「どんな環境にいっても瞬時に要点をパパッと抑えて全体像を掴んでスッと仕事に入れる天才型がいるけど、睦月はそれなんやろな」と言われて、嬉しいような悲しいような複雑な気持ちにもなった。そんな適応のプロが適応障害になったのだからブラックジョークもいいところだねと笑いながらお酒を飲んだ。けれど長年の友人にそういってもらえることは自信にしてもいいのかもしれない。

今年も11月12日を迎えたので毎年恒例のお誕生日おめでとうメールを恩師に送った。知らない間に一般人でも名前が目に触れるレベルの人になり、秀才ばかりの霞が関で3X歳にしてそのポジションに就くのはやはりすごい人なんだなと思う。毎年言ってる気がするけど、出会った時からずっと憧れだ。今でも。そんな人に、人としての基本的なことを一から叩きこまれたのは自分の人生でもかなり幸運なことだったと思う。きつかったけど。いつかその背中に追いつける日は来るのだろうか…。