【 razbliuto 】

孤独を愛せ、愛を貫け

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最近は自分を大切にする生活を心掛けている。

朝もゆっくり起きて、家事の「何曜日だからこれをやらなきゃ」を極力なくして、ちょっと面倒でも割高でもこまめに自炊をして、けど面倒くさい時は遠慮なくコンビニ様や冷凍食品様に頼る。あと出来る限りシングルタスクをしている。テレビ観ながらスマホ触らない、映画観ながら仕事の書類作らない、自分のことやりながら後輩の質問にもリアルタイムで答えない。最近本で読んだのだが「今ここに集中することは、自分も周りも大切にすることに繋がる」とは本当にその通りだと思う。相変わらず家は取っ散らかってるし、おしゃれな家具もないし、味わい深い食器もないけど、そうやって自分を大切にしている。つもり。

以下、感情の備忘録。

6月から続いていた、長い、長いトンネルがやっと終わろうとしている(終わると信じている)。沢山考えて沢山悩んで沢山後悔して、何より沢山苦しんだ。先日リーダーと話したときに、リーダーから上司にちゃんと引継ぎをするよう伝えてくれていたことを知った。それも結構強めに言ってくれてたらしい。それに対して「分かった」と言ったものの結果的にはこれで、「本当に申し訳ない」と伝えられた。謝ってほしい人以外から謝られるのは、どうすればいいのか分からなくて困惑した。この約半年の間に本当に色々あって私はすっかり人間不信になっていたのだけれど、自分が所属する組織というものに対して懐疑心を抱きながら生きるのと、本当に信用したかった人だけが自分を裏切ってたことを知って生きるのと、どちらが辛いんだろうとぼんやり考えた。

多分こういうことは考えすぎで、考えたってどうしようもなくて、考えない方が楽なんだと思う。「見方が変われば世界が変わる」と私はよく言ってるのだけれどそれの最たる例で、事実なんてものは捉え方次第でいくらでも形を変えて収納可能だ。だから、自分の都合のいいように、咀嚼しやすいように変えてしまえばいいのだと思う。そうはいっても、この半年はこの数年の中でトップクラスに苦しい時期だった。沢山悩んで、考えて、泣いたことを忘れることは、当時の私や今の私に無礼だと思って、ちゃんと素材そのまま咀嚼している最中だ。

この半年でただ唯一よかったことは、自分が最後まで自分の筋を通せたことだ。これまで本当に散々なことがあったけれど、姑息なことは一切しなかった。最後は口頭で伝えることは叶わなかったけれど、今までの感謝の気持ちも直接きちんと伝えた。どれだけ人としての礼儀を欠かれた行動をされても、同じく自分が礼儀を欠いた行動をしていい理由にはならない。それはなにも「何があっても我慢しろ」ということではなく、「やり返すときは正面から」ということでもある。それを最後まで通すことが出来たということが、フラフラの自分の支えにもなっている。当時の私、正しい選択をしてくれてありがとう。

本格的な冬がやってくる前に、この咀嚼しづらくて仕方がないものをきちんと飲み込めたらいいと思う。