【 razbliuto 】

孤独を愛せ、愛を貫け

62

1995年1月17日午前5時46分。阪神淡路大震災発生。死者6434人、負傷者1万人超。当時の日本では未曾有の大災害。古い木造建築の多い長田区や兵庫区は特に火の海に飲まれ、戦時中を彷彿させるような一面の焼野原。鉄道の路線や駅は倒壊し、高速道路まで薙ぎ倒された。それまでの安全に対する概念が覆された、あの日。当時の私は1歳になったばかり。記憶になんて、あるはずがない。

24年経っても、東遊園地には大勢の人が集った。5:46と17:46に捧げられる1分間の黙祷。目を瞑り、静かに悼んだ。周りから鼻をすする音も聞こえた。有難いことに、私は家も家族も親戚も、全員無事だった。今も無事に生きている。生きるという当たり前に思えることを突如として奪われた人間が6434人もいた。当然明日も隣にいるものだと思ってた大切な人が居なくなってしまった人は、何人いたんだろう。あの地震ではほとんどの人が倒壊による圧死か、火災による焼死や窒息死だと聞いている。そんな残酷なまでに苦しい亡くなり方をした人が、何人いたんだろう。そしてあの中には、目の前で大切な人の命が耐えていくという、本当に地獄のような時間を過ごした人だっていたはずだ。それがどれほど苦しい記憶か、いくら想像しても及ばない。故人様もご遺族様も、どうか幸せでありますようにと祈ることしかできなかった。

この日の東遊園地に設置される募金箱ほどお札で溢れかえる募金箱を、私は他で見たことがない。やっぱり、この街に生きる人にとって大切な日なんだ。とても、それはもう、とても。あのお金がどうか正しい使い方をされることを切に願う。別に神戸のために使ってくれなくてもいい。東北でも熊本でも海外でも、どこでもいい。被災者の支援や被災地の復興に役立つなら。

そして16年後の2011年3月11日、東日本大震災が発生した。高校生ながら、あの時に「何かしなきゃ!!!」と咄嗟に思えて、そして動けたのは、きっとこの街の災害教育の賜物だと思う。「私は全然分からないけど、1.17の時に関東や東北からも沢山の支援をいただいた。今度は私たちが返す番だ。」そう思ったのを、今でも覚えてる。その意識を、次世代に繋いでいかなければならない。この地域だけじゃなく、日本中、世界中に。

記憶になくても受け継いでいかなければいけないモノがある。社会人になって最初の1月17日に、ふとそう感じた。大人になるということは、単にお酒が飲めたり、煙草が吸えたり、仕事をしてお給料をもらったり、家庭を築いたり、そういうことだけではないような気がする。先人達のバトンを受け継ぐ準備をし、そしてきちんと受け継ぎ、きちんと次世代に繋ぐ。それも大人の役目だと思う。平成が終わろうがなんだろうが、きっとそれは変わらない。

今日、あの場所にいるだけで込み上げてくるものが山ほどあった。行ける限りは多少無茶をしてでも、来年もその先も1月17日は東遊園地に行こうと思う。命ってなんだろう、生きるってなんだろう、なんで私は生きてるんだろう、私は後世に何を残せるんだろう。そんなことを、ド真剣に考える。