【 razbliuto 】

孤独を愛せ、愛を貫け

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人の生涯が終わる時、そしてその人を天へ送る日は、どうか晴れていてほしいと思う。

2023年1月16日午前3時30分ごろ、大叔父が亡くなった。随分前から心臓を悪くしていたものの、享年97歳の十分すぎる大往生。私が最後に会ったのは、昨年2月に祖父が亡くなった時だった。

親戚といっても少し離れているので特別に濃い思い出があるわけじゃない。ただ毎年夏にお中元を渡しに行って、大叔父「おまえどっちや」私「姉の方です」というやり取りをして、バカでかい音量で流れている甲子園か相撲を観ながら「耳おかしなる…」と思い、「今年の暑さはほんまかなわんわ!」というのを聞くのが夏の恒例行事のようなものだった。あと「わしはもうあかん」に対して「うーん、まだいけそう…」と満場一致で思うのも。

うちは超が付くほどの長寿家系だけどその中でも一番上で、なのに一番声が大きくてとにかく元気な人という印象がある。大叔父はそんな感じだけど、奥さん(大叔母)は物静かな人で、よくこの2人が結婚してこの歳まで仲良くやってこれたなと思うけれど、そんな2人だからこそやってこれたのかなとも大人になるにつれ考えるようになった。そんな人が、一昨日会った時にはもう静かで、うんともすんとも言わなかった。人が亡くなるってこういうことなんだと、きっとこの先も何回も思うだろう。

昨年9月に入院して以来、もう家には帰れないと言われていたそうだった。歳も歳だし、なにせ元々心臓が悪い人なので悲しいけれど仕方ないか、そうだよねと思っていた。12月に施設に移って大叔母と一緒に過ごす予定が、たった4日で様態が悪化して12月下旬に再び病院へ。クリスマス、年末年始を控えている時期だったが、そこに訃報が重なる覚悟もしていた。しかしその時期も頑張ってくれて、みんながようやく落ち着いた頃に静かに旅立った。「あっけらかんとした人だけど、人にものすごく気を遣う人だった」と祖母は言う。みんなが年末年始をのんびり過ごせるように、最期の最期まで気を遣ってくれていたのかなと思う。ちなみに9月に入院していた時にうちの祖母も入院していた。たまたま同じ病院で同じ階だったからしょっちゅう話していたらしい。祖母は「義兄さんとあんなに話したのは初めて。色んなことを沢山話せて本当によかった」と言っていたが、今思えばあれも何かの縁だったんだと思う。

告別式には沢山の人が来てくださって、みんな涙してくださって、お寺の方からも「この地域の長老が亡くなられて寂しい」という言葉をいただいた。すごい人だったんだなあと改めて思った。

祖父と田舎も近いので、葬儀の手順や準備も特に大きな変わりもない。ああ、こんな手順あったなという懐かしさもない。すべてたった11ヵ月前に見た光景だったのが、桜の花びらが日を増すごとに散っていくようなもの寂しさと似ていた。

「臨終」という言葉は「終わりに臨む」と書く。すなわち、亡くなった日が終わった日ではなく、これから徐々に死に向かっていくというのが真言宗の考え方だ。仏になるためにこれから修行を重ねなければいけない。そして修行の成果と、生前の行いを鑑みて次の輪廻の行き先を決める。初七日、二七日(ふたなのか)、三七日(みなのか)というが、これは7日ごとに次の行き先を決める審判のこと。そして四十九日をもって、現世を終え、仏様のもとに辿りつく。

・・・という考えがなぜかうちの家系には浸透しているので、出棺の際も「さよなら」じゃなくて「行ってらっしゃい。私たちも頑張るから、〇〇(故人)も修行がんばってよ」と送り出している。我が親族ながら良い親族だなと思う。

どんな命にも終わりがあるなら、なぜ「生命」なんてものがこの世界に存在するんだろう。子孫をいくら繁栄させたとて、自分の子孫を見届けられる期間なんて限られている。誰のために、何のために、これだけ多くの生物がこの世界に存在して、くだらない生存競争を繰り返しているんだろう。最近はそんなことをずっと考えている。

ただひとつ思っているのは、生きているこの時間こそが夢なんだろうということ。寝て起きた時に「夢を見たような気がする。あんなでこんなだったけど、ちゃんとは覚えてないや…」くらいの感じになるんだろうなと、なんとなく思っている。そうであればいいとも思う。

人の生涯が終わる時、そしてその人を天へ送る日は、どうか晴れていてほしい。桜の木の下じゃなくていい。生涯を全うしたことを祝福するような空。旅立つ人も、遺る人もみんなが「このままどこまでもいけそうだ」と思えるような空がいい。

おっちゃん、本当に長い長い生涯お疲れ様でした。おじいちゃんに会ったらどうぞよろしく。いっぱい喋っていっぱい好きなことして好きなもの食べて、時折わたしたちの様子見ながら、楽しく過ごしてくれたらいいな。

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私はよくお喋りに見られるけど、全部ツイッターの公開アカウントに書いてもよさそうなことしか喋っていない。「お喋りにみられる」ではなく、実際たしかにうるさいんだけど、実はそういう制約を自分に課している。薄い話を厚そうに、そしてボリュームも盛って話すことばかりが上手くなる。こんな話し方をするようになったのはいつからだろう。

転職してから早くも3か月が経った。最初から正社員採用ではあったものの一応試用期間があり、その期間もクリアしたので万々歳だ。別に何も悪いことしていないのに、今回はなぜかずっと「ここで切られたらどうしよう」と思っていた(労基法的によほどのことがない限り試用期間で切られることはない)。ちなみに今のところ転職してよかったとしか思っていない。

新しい会社は生え抜きが多い。私と同い年の人もいるので、つまり同じ会社にn年いることになるのだけれど、なんか色々、自社や同僚に対する信頼感がすごくて圧倒されるばかりだ。私はずっと会社のことも同僚のことも疑ってきたし信じられなかった。最終的には隙を見せたら終わりだとまで思っていた。そうはいっても結局コミュニケーションは技術と同等かそれ以上に大切なことなので、全く人と関わらないわけにもいかない。その積み重ねが、冒頭で書いたような、薄っぺら~~~~~~い人との接し方を自分の中で生み出してしまったんだろうと思う。

別に同僚だけではなく、誰に対しても私はそんなコミュニケーションの取り方をしてしまう。ある程度仲良くなったり、何回もごはんに行くような人にでさえ。ただ体裁を取り繕うのは我ながら上手いと思う。「睦月さんに魅かれない人はいないと思う」とまで最近言われた。さすがにそれは言いすぎだ。けどもう本当に、何もよくない。私が間違っている。こんなことしたって誰も幸せにならない。あ、でも周りは幸せというか楽しいかもしれない。けど私は幸せじゃない、かもしれない。

嘘でも笑ってたらさ、なんか楽しい気分になることってあるじゃないですか。嘘でもご機嫌よくいたら、なんか幸せ化もしれないって思うこともあるじゃないですか。それがいいのかな。それでいいのかな。

いつまでこんなことで悩んでるんだろう。けどこういうことで悩んでる時間、無駄だとはいくつになっても思えないや。

 

かなり寒くなってきましたね。冬になる度に「お前は冬の海に行くなよ、死にたくなるやろ」と言われたことを思い出す。多分このブログでも過去に何回か書いたと思う。未だにあれを超える「知ったか」に私は出会ったことがない。私のことを知りすぎていた人。どうかあなたが望むままに、自由に生きていてくれたらいいなと思う。どうか。

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気付けば10月も半ばになっていた。突然寒くなったと思う日もあれば、今日のように9月半ばと錯覚させるような暑い日もある。今年の春ごろに冬服を片付けるときにかなり断捨離してしまったので秋服冬服が少ない。欲しいものは色々あるけれど、今着て何回着れるだろうと思うものばかりだ。そうやって悩んでいるうちに季節は過ぎていく。いつだってその繰り返しなので、さすがにもう分かる。

9月から新しい職場で働いている。最初こそ少し緊張があったものの、話しやすい人が多くて今はだいぶリラックスして仕事が出来ている。上の人もちゃんと見てくれていたり、困っているメンバーには手を差し伸べてくれる人なので安心。今のところ特に頑張ろうという気持ちもなければやる気がないわけでもない、フラットな状態を保てていると思う。もう仕事にのめりこむようなことは出来ればしたくない。それは自分のため。もちろん一切合切頑張らないというわけではないが、程よく手を抜いて心理的距離を取ることも大事と学んだのでそれを実践していけたらいいなと思う。

職場が変わったり、資格試験を受けていたり、野球を観に行ったりでなかなか忙しい毎日を送っていた。野球が好きなのはいつからか覚えていないくらい昔からだったけれど、今年は本当に見ていて良かったと思う1年だった。特に9月からはどちらも見逃せない展開ばかり。9月10月はあっという間に過ぎていった。

そして、私が大好きだった選手たちが続々と引退を発表し、引退試合やセレモニーが開催された。気付けば今応援している球団の選手たちも半分以上年下になってきた。学生時代にテレビを観ながら憧れた選手たちがこの数年で次々とユニフォームを脱いでいく姿を観て、自分もそれだけ歳を重ねたことを痛感することもあった。引退する選手を観て思うのは「まだ全然できるでしょ!?」と思わせながらユニフォームを脱いでいく選手たちの格好良いことったらこの上ない。一軍だけでも12球団併せたら沢山いる。2軍3軍にもなれば、もう何人いるのか分からない。毎年沢山入ってきてそして引退していくけれど、きっとまだ出来るのにその椅子にしがみつかずに自分の中で引き際を決めて後輩たちに道を譲っていく人たちは本当に格好良い。当然のことながら私はプロアスリートではないので職業的には違うことばかりだけれど、考え方とか立ち振る舞い方とか日常では得られない気付きをさせてくれるのもプロスポーツが好きで良かったと思うことだ。本当に皆さん長い現役生活お疲れ様でした。

そして残る今シーズン。タイガースは終わってしまったけれど、バファローズは来週から日本シリーズがある。26年ぶりの日本一に向かって、どうか突き進んでほしい。

そして昨日、バファローズ日本シリーズへの進出を賭けた大事な試合をしていた頃、私は旧友と会っていた。もう少し前に会おうと言っていたのだけれど、コロナとか色々ありなんと半年ぶりに会った。この半年といえば、私はいきなり転職活動を始めて内定取って退職して夏休みを過ごして…と色んな事があったので話すことには事欠かなかった。10年以上前から私のことを知っているとても貴重な人なので、なんだって話せる。転職して何をしているのかと聞かれて、「新しい事業の立ち上げらしい」と言ったら「得意分野やん!」と返してくれるのなんて彼くらいだろう。色んなお祝いを一気にまとめて、なんでもない日に神戸牛のコースを食べるという贅沢をした。頻繁にはしないけれど、思い立った時にサクッと贅沢ができるようになっただけでも社会人になってよかったと思う。年内また会おうと話した。次はお鮨を食べに行く予定なので、そちらも楽しみだ。

泣いても笑ってもあと10日ほどで今シーズンの野球は終わる。春先から私の夜を占めていたものがなくなり、自由時間が増える。何をして過ごそうか。やりたいことは沢山あるので今から楽しみだ。

まだ少し暑い。早く冬になってほしい。うっすら自覚しているけれど、多分私は考えなければいけないことを後回しにしてしまっている。

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インスタグラムを覗いてみる。主にリア友をフォローしているアカウントなので、中高大の友達の近況がよく流れてくる。20代後半にもなれば人生も様々だ。相変わらずバカみたいな体力と社会人になって得たお金パワーでとんでもなく遊んでる人、仕事を極めている人、趣味を楽しんでいたらなんかそちらの方面で伸びた人、学生の時から好きだと言っていたアイドルを今でも追いかけている人。そして、結婚して子供が生まれた人。

自分が欲しいかどうかはさておき、赤ちゃんや小さい子供は昔から好きだ。可愛いと思うし、人の子供でも成長を感じると嬉しい。なので、友人の子供がきゃっきゃしているストーリーを可愛いなあと思いながら眺めているのだが、そこで嫌でも気づいてしまうことがある。自分はあまり親から褒められずに育ったこと、そしてもっと褒めてもらいたかった気持ちがあること。

小さい頃から特別にとびぬけた人間ではなかったけれど、そこまで悪い人間でもなかった。小学校のテストはどの科目も80点以上がほとんどだった。もちろん苦手なところはあったけれど、勉強すればある程度は解けるようになっていた。それが普通だったので、満点のテストを持って帰っても「おー」。90点台のテストを持って帰ったら「惜しいなあ」くらいしか声をかけられた記憶がない。

中学高校になるにつれ、勉強の難易度は上がるし部活や予備校もあるので学校の課題に割ける時間は減る。それでも自分で計画を立てて着々とこなしていたので特に親の手を煩わせることはなかった。第一子がこれだったので、それが両親の子育てのスタンダード。

あんまりきゃぴきゃぴした子供ではなかったけれど、それにしても「可愛い」と言われた記憶なんて本当にない。大きくなって私が買ってきた服に対して「それ可愛いやん」と言われたことはあるけれど。

めちゃくちゃ褒められたこともなければ、めちゃくちゃ叱られたこともなかった。「100点じゃなければだめなんだ」という意識は幼いころから薄く、けれど着実に層を増していったように思う。それが現在の完璧主義に繋がる。

唯一めちゃくちゃ叱られた出来事がある。中学校の時うっすらいじめに遭っていたのだが、ある日耐えきれなくなり学校に行けなくなってしまった。朝、熱があるわけでもないのに「理由は言いたくないけど学校に行きたくない」と話すと、びっくりするほど怒られたのを今でも覚えている。未だに年に数回ネタにされる。何があったのか何も知らないくせに。知ろうともしなかったくせに。

色々あって、「愛着」というものについての知識を得る機会が大人になってから増えた。愛着に関する本を読んでいるうちに、まるで自分のことが書かれているようで怖かった。ただ、それが良い方向にも作用して、早い段階で自分のことを客観的に考えられるようになった。思考の癖や、それがどこから来るものなのかも分析して、ではその癖を治せるようにはどういう意識でいたらいいかというところまで自分で考えられたのは不幸中の幸いだったと思う。ただ、容姿にしろ中身にしろ、人から褒められても未だにそれを素直に受け止められない。例えば仕事のことでAさんから褒められても「褒めてもらえてうれしい」ではなく「Aさんの力になれたみたいでよかった」と捉えてしまう。自分に自信がないわけではない。なぜなら今まで自分の出来ないところを分析→それを克服というサイクルを繰り返してきたから。自己満足ではなくある程度結果も残してきた。けれど、すべて後付け。土台となる部分は、シロアリにかじられたような柱で出来ている自覚はある。だから時々根本からくる不安定さや不安に飲み込まれそうになる。

色々書いたが、別に親を恨んでいるわけではない。嫌いでもない。愛情が注がれていなかったとも思わない。悪い人だとも思わない。むしろ良い人だと思う。ただ、親が注いだ愛情が、私が一番ほしかったもの(そしておそらく未成年時代の私にとって一番大切だったもの)ではなかっただけだ。だから誰も悪くない。誰も悪くないから、辛い。いっそ、誰か超悪い人間がいてほしかったとすら思う。当たり前に、そんな存在は居ない方が幸せなのはわかっているのに。

夏が終わろうとしている。ツイッターのタイムラインでは「夏が終わるのが寂しい」という人がちらほら出てきた。その感覚がよく分からない。やっと秋が来る。やっと私が息をしやすい季節がやってくる。

 

私の生きづらさについて。

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先日ライブに行った。私が大好きなバンドのツアーが今行われている。6月にも行ったのだがその時はちょうど怪我をした直後で大人しく観るしかなかったのだけれど、今回は怪我も治っていたので思う存分楽しむことが出来た。

今のバンドの前のバンドからとある方のことがずっと好きだったのだけれど、前バンドが解散する時かなり色々あって本当に辛そうな時期があったのを知っている。メジャーデビューした後から徐々にがたがたになっていって、最後は本当に見ているのも辛かった。メジャーデビューって喜ばしい出来事であるはずなのにこんなに悲しい思いをするくらいならずっとインディーズでよかったと、当時私も思った。*1あの解散ライブはきっとこの先も忘れることはないと思う。最後の最後まで最悪だった。解散してからも不振の期間が続いた。「あいつはもう終わった」という声も少なくなかった。好きな人が沢山叩かれているのは見ていても辛かった。

そこから組まれた今のバンドは、メンバー仲も良くてお互いにリスペクトし合っているのがこちらにも伝わってくるような、素晴らしい空気感を持ったバンドだ。私の好きな方以外にも過去に色々あった人たちが集まっているので余計にそういう空気感が生まれるのかもしれない。売上や動員でいえば前バンドとは比べ物にならないと思う。けど、それでも貴方が笑顔でいてくれることが私にとっての何よりの願いだと思う。ずっとこの時間が続きますようにと、祈るような気持ちで毎回ライブを観ている。

彼の作る音楽が好きだ。今のバンドの曲はメインはもう1人の人が作っていて、時々私の好きな人が作る。けれど、あのどこか危うくて切なくて孤独感と鋭さをもったメロディラインは作曲者が誰かを見なくてもイントロだけで分かる。私が勝手に思っているだけだが、創作というのは作り手の器を上回る作品は生まれないと思っている。かといって、実力が1000の人が10の作品を作ろうとするとそれはそれで何かいびつなものになると思っている。つまり周りが観て「良いな」と思うレベルのものは大体本人の器の大きさとイコールになる。だから、きっと彼本人もそれほどの色んなものを抱えて生きてるんだろうなと思うけど、普段はそういうのを一切出さないし、多分出せないでふにゃふにゃしてるところがとても愛おしいなと思う。音楽の中だけで行われる彼の呼吸がとても好きだ。私にとってもライブハウスは唯一何も気にせずに呼吸ができる場所だと思っている。だからこの先も、否が応でも好きでい続けるんだと思う。

楽しかったのでその気持ちを伝えたくなって久しぶりに物販でとんでもない額を使ってツーショットを撮った。こういうのも久しぶりだなと思って懐かしくて嬉しかった。ツーショなんて久しぶりだったので絶対覚えてないだろうなと思ったら「あれ、久しぶりじゃない?元気してた?」と言ってもらえて驚いた。相変わらずステージを降りたらちょっとコミュ障でふにゃふにゃで可愛かった。中学生の時、Youtube越しにずっと恋焦がれていた人に名前まで覚えてもらえてるなんて、不思議だなと思う。当時の私が知ったらきっとびっくりするだろうな。「ずっと誰よりも好きです。ずっと好きでいさせてくれてありがとうございます」と伝えてきた。

*1:メジャーとなると世間ウケをやはり気にしなければならない。ただでさえ世間ウケしないような音楽をやってきた人たちがいきなり世間ウケのために曲を作るとなると、作品にも人間関係にも影響が出てしまう。それが悪い方向に行ってしまっていたのだと思う。

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感情整理のために色々書きます。音楽とジャニーズと私の話。

 

私の人生を語る上で絶対に外せないのが『音楽』というもので、音楽をやっていたから出会えた人・もの・考え方・価値観が沢山ある。音楽をやっていなかったら今の私は全く別の人間になっていたと確信を持っていえるくらい大事なキーワードなのだけれど、その音楽と出会わせてくれたのは今年25周年を迎えるKinki Kidsの存在だった。

当時4~5歳。この世界のことなんて何も知らない私がぼーっとテレビを観ていた時に流れてきたキンキの映像を観て、そこに映っている堂本光一さんに完全に心を奪われた。好きとか一目惚れとか何も知らない時にその人のことしか考えられなくなったのだから、もう正真正銘心を奪われていた。親に「この人のこと好き!」と伝えたら、そのあとキンキが映っている番組を積極的に見せてくれるようになり、曲もどんどん覚えた。そのタイミングで近所にピアノの先生が引っ越してきてご挨拶がてら我が家に遊びに来た時に私が譜面も何も観ずにキンキの曲を弾いてるのを見て「この子は絶対音感を持ってるからちゃんと伸ばした方がいい!!」となってピアノを始めた‥というのが私の音楽人生のスタートである。つまり、キンキがいなかったら私は音楽をやっていなかった。その後出会うあのバンドやあのアーティストのことも好きになっていなかったと思う。

ちなみにピアノの先生は私の絶対音感を伸ばす方向に注力してくれたので、私はクラシック曲はあまり弾けない。代わりに小学生ながらポップスの譜面起こしとか楽曲アレンジばかりしていた。中学に上がるころには譜面読むより聴く方が早い状態になっていたので誰よりも弾けるようになるのは早いし、パートチェンジ(本来の担当パートは1stだけど一部だけ3rdやるとか)も即対応出来るそこそこオールマイティな人間だったのでそれはそれは周りからぶっ叩かれたのだけれど、その時に手を差し伸べてくれたのが私の生涯の恩師。「それがお前の才能やねんから遠慮するな、正面から戦え」と言われたので、手を差し伸べられたというよりは背中を蹴り飛ばされたという方が正しいかもしれないけれど、あの教えは本当に正しかったなと思う。13歳のガキんちょ相手でも正面から向き合ってくれた恩師は本当に偉大。大好き。

話を本線に戻します。

周りの影響と、キンキのバックも務めていたこともあり10~11歳の頃にはKAT-TUNにも出会っていてそれはそれは大好きになっていた。けれどデビュー間もないころから色々あるグループだった。堂本光一と同じく王子様系統の田口淳之介が大好きだったのだが、デビュー早々スキャンダルは出るわいきなり全然似合わない金髪にするわ、応援する側も色々葛藤があった。おまけに世間的には亀梨と赤西しか知名度がない時期だったので「田口が好き」といったら百発百中「誰?」と返されて悲しい思いも沢山した。あんなに格好いいのにな‥。入口出口、田口で~す!(って言い始めたときは「何言ってんだこいつ」と思ったけど)

そうこう言ってるうちにグループの双璧を担っていた赤西が脱退して、その数年後に田中が色々問題起こして脱退。しかもそのあと覚醒剤使用で逮捕。正直田口より先に捕まると思ってなかったので「あれー」と思いながら見てたらその後田口も脱退してその後薬物で逮捕された。田口は兼ねてより交際を噂されてた人がだいぶ怪しかったので「ああ、やっぱり」と冷静に受け止められた。むしろ大麻で済んでてよかった~と思った。本当に大麻だけ?とも思った。

グループの規模はどんどん小さくなっていくけれど、残されたメンバーはいつだって腐らずに踏ん張っているので今も変わらず応援している。脱退したメンバーのことも応援している。6人みんな幸せでいてほしい。田口は出所してから付き合ってた人とも別れたらしいし、知らない間にプロ雀士になってたし、インスタ見たらなんか楽しそうだったのでよかった。なんかちゃんと自分の人生歩いてるんだなと思って安心した。聖は覚醒剤に手を出したということもあって更生が大変かもしれないけど本当に応援している。帰ってくる頃には世間は聖のこと忘れてるかもしれないけど、絶対に覚えてるファンはいるから、もう本当に頑張れと祈る。

先日の金スマで、Kinkiの2人が25周年記念で特集されていた。そこで直属の後輩としてKAT-TUNの名前を出してくれたのが本当に嬉しかった。病室でのジャニーさんとキンキの2人を見ていたのが亀梨和也だったことは何かの因果だと思いながら見ていた。

そんな番組を金曜日に観て、土曜日はTHE MUSIC DAYであのメドレーを観てしまったので今週末は感情が忙しかった。人生の走馬灯がばーっと流れた週末だった。亀梨、本当にKAT-TUNでいてくれてありがとう‥。何人になってもKAT-TUNはいつだって格好いいけど、それは間違いなく亀梨和也という男が真ん中にいるからだと思う。助けてくれた櫻井くんやまっすーも、本当にありがとうございました。やはりU&Jとアニキ会は最高だね。

本当はもっと書きたいことはあるんだけど、ジャニーズ編は一旦ここで終わり。仕事のことじゃない記事を書いたのはいつぶりだろう。それくらい私も元気になりました。

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5月。どういうわけか過去一で忙しい月だった。月初にはGWがあり毎年実家に帰って手伝いをしていたが今年は色々な都合が重なりそれもできなかった。代わりに同僚と遊んだり友人の結婚式にいったりしていた。それ以外にも5月は友達と遊んだりしばらく会ってなかった後輩とごはんに行ったり、人と関わることが多かった一か月だったと思う。勉強もすきを見つけて少しずつできたし、全体としては仕事に追われすぎてあっという間に過ぎたが、それなりに充実していた。

5月のビッグイベントといえばもう一つ。転職が決まった。前々から「退職」はうっすら頭にあったものの、色んな理由を考慮して早くて秋くらいから動く予定だった。それがこの4月で1つ仕事が落ち着いたので「時間あるうちに転職するとしたらどんなもんか見ておくか」と思い色々転職サイト見たり、練習のつもりで面接受けてたら決まってしまった。そこまで高望みはしないで始めたのに、ここまで条件合うところはなかなか見つからなさそうな所に決まったと思う。なんとなく外見てたらチャンスの神様が目の前を走りすぎていこうとしたので手を伸ばしたら掴めてしまったという感覚で、まさかこんなタイミングで転職することになるとは思っていなかった。私もびっくりしている。

元上司とは色々ありつつもやっぱり私を育ててくれた人だったしひとつの目標でもあった。その人が辞めてしまって、ちょうどそのタイミングで新たな「目標の人」が見つかって色々吸収していこうと思ってたらその人も退職が決定。これ以上周りに着いていきたいと思える人がいなくなっていた状態だったので時期としては最適だったのかなと思う。仕事は自己成長のためにあるものではないけど、私としてはどうせやるなら極めたいと思っているので指標となる人は必要なのだ。それが見つからないなら、私はもうここにいる意味はない。それでも居たいと思える理由も、なかった。だから今でよかった。

 転職後も仕事内容としてはそこまで大きく変わらないので私が今の会社に在籍している残り数か月もしっかり頑張って次に繋げられるスキルを少しでも多く獲得したい。私が14歳の時に初めて「将来はこの仕事やってみたいな」と思った仕事にやっと手が届きそうで、それが一番嬉しい。新卒時からそこを目指すことも出来たけど、個人的には人生経験も社会人経験もない自分が出来る仕事ではないと思っていたので新卒時は別のルートを選んだ。そこから長い時間が掛かったけれど、全部無駄じゃなかった。うれしい。

先日同僚と色々話していた時に「睦月は出会うべきタイミングで人に出会えてるからそれが本当にうらやましい」と言われた。確かに人生の要所要所でそういう出会いがあり、私は結構長いこと誰かの背中を追って生きていたなと思う。今回決まった会社も、元々募集していた職種とは別のポジションで決まった。担当者曰く「これから求人を出そうと思っていたところに求めている人物像にまさに当てはまる人(=私)が応募してきたのでびっくりしている。これも縁だ!」とのことらしい。ちなみに冒頭に書いた「結婚式に参列させてもらった友人」は同級生でも何でもない。この友人と私を含め5人グループなのだが、全員ただ高校の予備校が同じだったというだけだ。大学に入ってからも数年に1回しか会っていない程度なのに、10年以上続いているし結婚式にもお互い呼び合う仲だ。本当によく続いているなと思うけれど、会えば「あの頃」の感覚に戻れるのでやっぱり大切な関係だと思う。

決して楽で平坦な人生だとは思っていないけれど、人との出会いと縁にだけは恵まれている。そこが恵まれていることは、本当に幸せなことだ。

そんなこんなで転職することが決まったわけだが、諸事情がありまだ会社には伝えられていない。伝えられない状況でもあるので、周りに対してはそんな素振りを一切見せられない。約1か月後に退職の申し出をする。その時に多少ごたつくだろうなと思っている。無事に辞められますように‥(切実)

 

祖父が亡くなってから3ヶ月経った。不思議なもので、おじいちゃんが亡くなってから、今まで悩んでたこととか滞留してたことがスっと上手くいくようになった。向こうに一緒に持っていってくれたのかなと思う。数年前に占いに行った時に「あなたはご先祖さまからちゃんと守られる星回りをしている」と言われたことがあった。きっと本当にそうなんだと感じることが沢山ある。6月初旬には百か日がある。早いものだ。良いところとご縁があったことを報告して、きっちり御礼を伝えようと思う。