【 razbliuto 】

孤独を愛せ、愛を貫け

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( 本記事はいつも以上にただの感情の書留です。 )

 

 

配偶者を亡くしたあとも女性の方が長生きする。それは女性特有のコミュニティ形成力の高さが由来していて、ママ友や職場や近所や習い事教室、とにかく女性は色んなところで友達を作るため、老後も人と関わり、頭や体を使うことが多いためだ。人と関わり、沢山笑うことが老いに対する何よりの特効薬でもある。

テレビや本でよく耳にするのは大体こんなことだった気がするけれど、まさにその通りの人だった。夫婦ふたりで仲睦まじく暮らしていた中、12年前にご主人が先に旅立たれた。そのあと、おばさんは一人暮らしになるんだけど引き篭もるどころかいつもどこかに出掛けていた。出会うときは大体、これから遊びに行くか、遊びから帰ってきたとき。あと朝の通勤時間に溝掃除をしているおばさんによく会っていた。なんでそんな時間に溝掃除をしているかというと、そのあと友達との予定があるから。老人会での集まりやお友達とのお茶会、ゲートボールにカラオケ。80歳を超えてるのに「おばちゃんな、毎日遊びで忙しいねん!あははっ!」と笑ってた。とにかくいつも明るくて元気。玄関先で長時間友達と話してることも多々あった。少し腰が曲がった小ぢんまりしたおばあちゃんだけど、めちゃくちゃパワフル。色々思い出してるけど、本当に笑ってる顔しか出てこない。あんなに友達が多いご老人、そういないと思う。とにかくいつも笑顔で、愛さずにはいられないような人。

この正月はご親戚のみんなで楽しく過ごしていたらしい。楽しい楽しいって、いっぱい笑って、そのたった2日後。だからおばさん自身も家族に囲まれて過ごした楽しい時間を胸に旅立てただろうって。きっとご遺族の方の記憶にもおばさんのくっしゃくしゃの笑顔が真っ先に出てくるんだと思う。あれだけよく笑う人だ、記憶の中でもいつまでも笑っていてほしい。

多分私が赤ちゃんの時から知ってくださってる人で、本当によく気に掛けてもらってた。入学や卒業、受験まで、とにかくいつも応援してくれてた。家を出るタイミングが重なったときは一緒に駅まで行ったことも何度かあった。まあそれは、私が意図的にしてたことなんだけれど。

周りの人間の生死について深く考える機会が6年ほど前にあった。周囲のご年配の人はいつの顔合わせが最後になるか分からない。だから会えるうちに少しでも会って、会話しておこう。6年前の出来事をきっかけに、そう心掛けるようになった。だから電車一本遅らせてでもおばさんも駅まで一緒に歩いた。ゆっくり、ゆっくりと。

なのに、それでもだめだった。最後に姿を見たのは12月上旬、2階の自室から。庭に出てたおばさんの姿が見えて、声掛けようかなと思ったんだけど上からになっちゃうから、また今度でいいや、そのうち会うだろう、って。それが最後だった。

死ぬならそう言ってほしかった。なんて馬鹿げた願望だと分かってるけど、それでもそう思わずにはいられなかった。どれだけ元気でも80歳超えたらいつ死ぬか分からない。80歳超えてなくてもいつ死ぬか分からない。私だって明日プッツンと行くかもしれない。事故に遭うかもしれない。そんな当たり前のことを忘れて生きているという、これまた至極当たり前のことを此の期に及んで実感している私は本当に馬鹿だと思う。

せめてもの救いは、検死結果だった。おそらく、ほとんど苦しまずに旅立てただろうとのこと。ご遺族曰く、生前からずっと口にしていた願望らしい。本当に綺麗なお顔をしていた。

死亡推定日に珍しくおばさんの家の年賀状が紛れていた。その年賀状は母が届けたんだけれど、おそらく死亡推定時刻と1〜2時間ほどしか変わらないと思う。そしてその日も、ご遺体が発見された日も、私はずっとドラマ『アンナチュラル』を観ていた。救急車が来たのに気付いたのは、ちょうど私がお手洗いに席を立った時だった。ドラマの主題歌にも使われている、米津玄師さんの『Lemon』という曲は「夢ならばどれほどよかったでしょう」という詞から始まる。家の中からあまりにも長い間出てこない救急隊に、もう助かる状態じゃないんだと実感し始めた時、真っ先に浮かんだのがこの歌詞だった。けれど今は「自分が思うより恋をしていた貴方に」という詞の方が、重い。この曲の製作時期に米津さんのお爺様が亡くなられて、その出来事が大きく影響した曲だと、紅白の前に話されていた。たしかに、この曲は恋愛の歌でもあるけど故人に宛てた歌だと思った。なるほど、近しい人の死には「悲しさ」と同じくらい、あるいはそれ以上に「好き」が含まれているように思う。むしろ、好きだから悲しい。本当に、よく出来た詞だ。

「長年、本当にお世話になりました。ありがとうございました。」口にするのはその二言が限界だった。それ以上口を開いたら涙が止まらなくなると思った。涙を止めるために集中力全てを回さなければいけないほど、視界が滲んだ。悲しかったんじゃなくて、好きだった。あまり苦しまず、綺麗なお顔で旅立てて良かった。本当に良かったと思う。それでも涙が溢れそうになるくらい大好きだよ、おばちゃん。自分が思うよりも、本当に、ずっと大好きだった。

今まで本当にお疲れ様でした。最期に挨拶にまで来てくれて、本当にありがとうございました。遊び疲れたと思うから、どうかゆっくり休んでください。おじちゃんによろしくね。「毎日が楽しくて幸せ、だからいつ死んでもいい」って私も笑って言えるように頑張ります。だから、どうか安らかに。また会おうね。