【 razbliuto 】

孤独を愛せ、愛を貫け

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1番素直でいられる場所は、ラブレターの中だ。これは半分嘘で、半分本当だ。もしかしたらもう少し本当かもしれない。

ラブレターというと、好きな人や恋人に書く手紙を思い浮かべるが、よく考えれば謝罪文と抗議文以外の手紙は大体ラブレターだ。「好きです」と伝えることも、「感謝しています」と伝えることも、「お元気ですか」と尋ねることも、大きさの差はあれどそこにきっと愛はあるだろう。また、何枚も便箋を使って書くような手紙もあれば、たった数行の手紙もある。過去に私は、その文面を1週間かけて考え、メッセージカード大に切った白紙の紙を3枚作り、そこにリハーサルを3度し、自分の集中力とコンディションが最も良いタイミングを測って、深く深呼吸をして筆を執り、普段ではなかなかない集中力を発揮して、たった3~4行の手紙を書いたことがある。「好きじゃなきゃここまで出来ないな…」と書き終えて思った。宛先は、もちろん恋人だ。書くことは、自分の気持ちと向き合う機会も与えてくれる。

直接話すより書くことの方が好きなのは、そういう理由があるからなのかもしれない。話すことが苦手なわけではないし、上手いと言われるけれど、それでも自分の気持ちを伝えるべき時は「ああ、話すより書きたい…」と思ってしまう。論理と感情の境界が曖昧なまま話が進んでしまうことが1番嫌なのだが、大体自分の気持ちを話す時は境界をはっきりさせている余裕なんてない時だ。ちゃんと伝えたいとき、ちゃんと自分と向き合いたいとき、私は書く。もちろん、なんとなく書くこともあるし、このブログにおいてはそういう文章が大半だ。それでも、たとえなんとなく書いた記事でも書くときは「最近何があったかなあ」と考えながら書くものである。このブログがなかったら、私の日常はきっと水のように流れていくだけの毎日だ。

Twitterもこのブログも、もはやなんで始めたかなんて覚えていない。ただ、私は書くことが好きだ。音楽を辞めて以来、やっと見つけた「自分に素直になれる世界」が文字の世界だったと、今となっては思う。そんな私の文章を好きだと言ってくださる人がいる。それは文章だけでなく、私に対しても「好きだ」と言ってもらえているようで、とても嬉しい。

Twitterを辞めようと思ったのは文字に疲れたからで、やっぱり辞められなかったのは書くことが好きだからだ。たとえ140字でも、140字だからこそ。

もうしばらくはここにいると思うので、引き続き、何卒よろしくお願いします。