【 razbliuto 】

孤独を愛せ、愛を貫け

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机の上に放置してあった近所のラーメン屋の味玉無料券の期限が9月末までで切れていた。季節はあっという間に進み、もう10月。インスタグラムさんに「5年前の投稿です」と掘り返したくない記憶を掘り返されたのは昨日の話だ。

もう5年になるのか、と思う。記憶を掘り返されたついでに、自分の過去の投稿を眺めていた。言っていることは今とあまり変わらなかった。当時と今を比較してみると、少しは強くなった、と思う。当時は自分には何かしらの素質があると思っていたが、そんなものはまるでないことを知って、受け入れた。あと諦めるのが上手くなった。良かったのか悪かったのか分からないことばかりだが、肩の力を抜くのが上手くなったのはよかったと思う。間違いなく人生で1番辛かったあの時期、「何が楽しくてこんな思いをしてまで生きなければいけないんだ」と毎日毎時間毎秒思っていたが、皮肉なことに当時味わった経験がきっちり今に活きている。今だから言えるのは、あれは堕ちて正解の地獄だったということだけだ。けれどそんなものは、それなりに這い上がれたからこそ言えることなんだろう。そして地獄なんてものはそこら中に落ちていて、這い上がり切れることなんて多分一生ないんだと思っている。そうでなければ、前を向いて生きることがこれほど肯定される世界にはなっていないはずなので。

職場の上司と面談をしたのは先週の話。「あなたには期待している」と正面から言われた。そして今週、きっちり色んな荷物が降ってきた。「ああ、なんか思ったよりやばいことになってきましたね」とぼやいたら「まあ睦月ならなんとかなるっしょ」と言われた。言いたいことは山ほどあるが、私より重い仕事をいくつも抱えている上司が淡々とこなしているのだから、私は何も言えない。言えるはずがない。「私に期待してもいいですけど、どの期待に応えるかは私が決めます」ということは伝えているが、私はちゃんと上司の期待には応えるつもりだ。なんだかんだ、好きな人だから。私は自分に自信なんてまるでないけれど、好きな人が信じてくれた自分のことは信じたいと思う。それさえも否定してしまうことは、好きな人の好意を否定することに繋がる。それは決して本意ではない。

というわけで、5年前のことを思い出して感傷に浸っている暇なんてないくらい目の前に色々転がっている。対処法はこの先ぼちぼち考えていくとする。ところで最近、やっと自分の周囲の様々な環境についての整合性が取れるようになってきた。今直感しているものが正しければ、どうにかこうにかこの山を越えなければいけない。毎年波乱万丈の秋冬は、どうやら今年も変わらなさそうだ。